痛恥

魁皇負けたね。
萎えるなぁ。

ところで久しぶりに太郎の日記を見ていたら俺のことが非常に痛い人のように書かれたのでそれに反論しておこう。

俺は小学校の頃にルンペンに親父が殺される夢を見たことがある。
詳しく述べると「池の上に住むルンペンを俺が指差して嘲笑したらそのルンペンがキレて池を泳いで横断し俺をかばう親父を木の枝で殴った後腹をギュッとつねったら親父が血の泡を吹いて死んでしまう」という夢だった。
確かこれを見たのは小学2年生ぐらいの頃で、俺はこの夢がいつか現実になるのではないかと恐れその日は確か眠れなかった気がする。
つまり俺が言いたいことは、もしこの夢のように親父を殺すようなルンペンがいたら殺すべきだけど、別に迷惑かけないんだったらルンペンなんかどうでもいいじゃん、ということだ。
ルンペンの人だって確かに自業自得なんだが、ある意味かわいそうなんだよ。
例えば彼らが人助けしたって何も感謝されないだろう?
彼らは生きるのに必死なんだよ。
でも彼らが今の状況を政治のせいとか他人のせいとかにしてるんだったらそれはアフォだね。

というかね。正直ルンペンなんてどうでもいいんだ。

太郎の発言はやたらネガティブなくせに妙な説得力があるんだよ。
かの天才アサノ君が「太郎に勉強つまらない無駄とか言われると本当にそんな気分になる」といったらしいほどだからね。
いままで太郎の犠牲者とも思える人が数人いるしね。
で、俺もなんか太郎の毒牙にかかりそうだから、とりあえず心の中では「どうでもいい」と思いつつも口では「人間は生きてるだけで価値がある」とか言っちゃう訳よ。
前々から俺は気づいているんだが、世の中痛いことを痛いと思わずにやれたほうが得なんだよな。
で、俺もそのほうがいいなぁとは思いつつも、痛いことをするのは無理なんだ。
でも太郎のように反対方面には突っ走る踏ん切りはつかないんだ。
つまり俺はその中途半端なところで揺れているんだよ。
揺れ揺れですよ。
その隙を太郎に突っ込まれて心にも思っていない痛い発言をたまにしちゃうわけだ。
でも別に俺は揺れてていいさ。
今の俺のポジションはこんなところだ。↓

太郎←←←←←俺→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→鹿戸

みんなもこの図の意味はわかるだろう。
これから俺がどう揺れていくのかをみんなも見守ってくれい。
我ながら痛くて恥ずかしい日記でした。