旅行記

◎2月19日


夜横浜出発。
待ち合わせの時間が早すぎてまじ暇だった。



◎2月20日


朝大阪到着。
電車で港へ。
途中喫茶店で時間潰してたら、同じ旅行に行く人がいっぱい居て軽く仲良くなった。
そんで新鑑真号乗船。
暇だったんで何してたかあんま覚えてません。
たぶん交流を深めるべく大貧民とかをしてたのでしょう。
あと夜中に関門海峡を見ようとがんばって起きてた気がするけど意外とヘボかった気がする。
でも瀬戸大橋はすごい立派だった。
確か。



◎2月21日


終日船上。
たぶん相当暇だったので、おそらくまた交流を深めるべく大貧民とかをしてたのでしょう。
あと太極拳講座やら中国語講座やら歴史講座やら。
正直内容はどれも覚えてない。



◎2月22日


海上陸。
でも時間があんまなくて大して回れなかった。
太郎が存在しないツモリチサトを探そうとしてめんどかった。
あと豫園ってところがとんでもない人の多さでした。
正直僕は人ごみが嫌いだから上海には住みたくないです。
夜には列車で西安へ。
途中プロデューサーのCさん(とってもうさんくさくてカッコいい偉人)と話したら、いろいろ凄かったです。
Cさんの学生時代の話も凄いんだけど、何よりも驚いたのがなんとCさんがA先輩と知り合いだということ。
しかもA先輩はCさんが今まで会った中で一番凄い人とのことで、将来総理大臣になるに違いないとまで言ってたw
あの偉人・Cさんにあそこまで言わせるんだからA先輩は相当な偉人なんだろうね。
もっと媚売っとけばよかったかw
つかA先輩に鼻やら歯やらを折られた方々も、将来それが勲章になるんじゃないですかね?
なぜならA先輩は将来総理になるらしいからw
そんなこんなで夜は更けた。



◎2月23日


西安到着。
列車の時間があるから早足に観光。
Cさんが「現地の人が本当に食べているものを食べて欲しい。これがまずいと言われたら僕にはどうしようもない」とまで言ってた朝飯がマズ過ぎてキレた。
つか旅行中で一番不味い飯でした。
んで兵馬俑やら碑林とかいう石碑がいっぱいあるところやらを見学。
でも中国人は景観とかを考えないっぽく、そんな名所の周辺に嘘くさいピラミッドみたいのを作っちゃってて萎えた。
まぁ西安は街が城壁に囲まれてて、その辺がよかったです。
でも時間がなかったのでもうちょい観光したかった。
夕方にはもう敦煌へ出発。
Cさんが俺らをウザがり文句言ってきたおばさんに無造作に金を渡して黙らしたのを見て、中国がもはや社会主義国家ではないことを知った。



◎2月24日


夜までずっと列車内。
この時は日本人が散り散りになってて中国人と絡まざるを得なかったのでがんばって絡みました。
というか列車は3段ベッドの寝台車で、2畳ぐらいのスペースに6人詰め込まれるから絡まざるを得ない。
でもチャイ語は全く通じないね。
学校で1年半一応勉強したけどまるで意味なし。
つか単語全然覚えてないのでどうしようもなかった。
あと中国人はもの色々くれるんだけど、こっちがあげようとしてもなぜかもらってくれない。
そういう文化なんだろうか?
夜に敦煌到着。
夜中に飯をいっぱい食ってホテルへ。
旅行5日目にして初のホテルだったし、シャワー浴びるのも船以来だからすごい気持ちよかった。



◎2月25日


敦煌で観光。
まず昔の西田敏行の映画「敦煌」のセットに行った。
結構ショボめだったけどそのショボさがよかった。
そのあと莫高窟に。
壁画とか大仏とか見る。
凄いんだか凄くないんだかよく分からないけどたぶん凄かったぽい。
でも仏像は日本のほうがクオリティ高いですね。
タイの仏像もヘボかったし、仏像は日本が最強ですよ。
そのあと夜光杯工場へ。
Cさんの「本物はここにしか売ってない。そこらへんで売ってるのは全部ニセモノ」の言葉に騙されてかなりの人が買ってた。
俺は夜光杯は買わなかったけど、へんなお面を買っちゃってしかもボラれた。
この店まじ詐欺でした。
Cさんはきっとマージンいっぱいもらってるのでしょう。
んで鳴砂山という鳥取砂丘の凄い立派になった感じのところに。
がんばって山に登ったら景色が最高だった。
あとラクダに乗れた。
そのあと漢の時代の万里の長城を見たりして駅へ。
が、駅で切符がないから電車乗れないとか言われる。
仕方ないのでバスでトルファンまで行くことに。
バス揺れすぎで死にそうでした。
あとCさんは失態をラーメン一杯でごまかそうとしてました。



◎2月26日


トルファン到着。
腰がクソ痛くなってた。
しかしそのまま観光を敢行。
高昌故城でロバ車に引かれ、火焔山では絶景に惹かれ、交河故城では女の子にひかれた。
最後のは嘘。
トルファンから新疆ウイグル自治区に入り、ウイグル人が多くなって人も少ないしいい感じになってきた。
ウイグル人の子供はまじかわいかったです。
中国人の子供はいまひとつかわいくないんだけどねぇ。
そのあと自由行動でバザール行ったり。
下手くそな日本語を話すウイグル人の先生に絡まれたり。
あとCさんの「中国では本物のワインはここでしか手に入らない。フランスワインに似た最高のワインだ。」の言葉に騙されて、またみんなワイン買ってたり。
そんなこんなでウルムチへ。
晩飯にバザールのディナーショーを観てクリステルなお姉さんと写真撮った。
ウルムチは中国人が住んでるところはやたら街で、ネットカフェまであって驚きました。



◎2月27日


ウルムチ
朝起きたら雪が降っててビビる。
超絶寒くて午前中はラーメン食っただけで帰ホテル。
そのあと天山山脈で乗馬。
普通に自分ひとりでパカランパカラン走れたので前半は最高に楽しかったけど、後半は股ズレを起こしてめちゃくちゃ内モモが痛かったのと寒すぎたのが相まって最悪に苦しかった。
帰ってから鍋料理屋に行ってバザールに行ったり。
でもバザールしまってたし超絶寒かったから結構早めに帰ホテル。
ダイヤモンドダストは凄い綺麗だったけどね。
そのあと飲み会してCさんの卑猥な噂話やら、医学部三人の旅に参加してるちょっと変な55歳のおっさんのカルテ書いたとかいう馬鹿話を聴いたりして楽しく夜は更ける。



◎2月28日


12時ぐらいにウルムチ駅出発。
2週間組とはここでお別れ。
電車でカシュガルに向かうが、一本前の列車が風にあおられて横転して死者10名負傷者100名とかいう大惨事になったらしく、途中トルファンでずーっと足止めを喰らった。
仕方がないのでいろんな人と喋った。
まぁいろんな人が世の中にはいるもんですね。
大学に入る前に遊んだりアメリカの学校行ったりして4年間ブラブラしてた26歳Hさんとそのツンデレ彼女さんとは結構仲良くなった。
ツンデレ彼女さんも大学卒業したあと美容学校に行って美容師になり、この旅の前に美容師やめることを決意したとのことでなかなかおもしろいカップルだった。
あとは家族親類に大卒の人が一人もいなくて、子供の頃から勉強しすぎると頭がおかしくなると言われつづけてきた東大大学院生Nさんも最高におもしろかった。
このときはあんま話さなかったけど他にも就活終わって部活引退したあと国1受けることを決意して5ヶ月の勉強で順位10番で受かった人とか、中央大にスポーツ推薦で入った人とかいろいろいました。
俺も今からでもがんばればいろいろ何とかなりそうな気がして励みになった気がします。



◎3月1日


終日列車内。
10時ぐらいに起きたら景色が変わってなくて絶望した。
結局電車が動き出したのは昼ごろで、なんと23時間遅れたらしい。
なんじゃそれ。
でも途中で横転してる車両の残骸があってビビった。
なんでも動いたのは俺らが乗ってた電車だけらしく、そのあとまたずっと止まってたらしいから、俺らは相当幸運だったようだ。
まぁそれも誰も確認してないからCさんの詭弁かもしれないけど。
あとCさんはウルムチでもう一人のスタッフ(Cさんの実兄なのにさん付けで呼び合ってる)がいなくなったのをいいことに、旅に愛人を連れ込んでいた。
Cさんは「もう別れてしまったけど今でも僕のことを待ってくれている人が東京にいる」とか言っておきながら、旅に赤子連れでさらにもう一人子供を孕んだ女性を連れ込む最低な野郎でした。
周囲には親戚とか言ってたけど、その女性はCさんのことを「パパ、パパ」と呼ぶので、その人が何なのかは明らかでした。
愛人はさすがに日本まではついてこなかったけど、最後の上海まで着いてきてて、なんじゃそれって感じでした。



◎3月2日


ようやくカシュガル到着。
さすがに列車もうんざりしてたのでカシュガルはやたら楽しく感じた。
自由行動も結構多くてバザールやらモスクやら旧市街やらを色々回りました。
変なスラムっぽいところにも入ってみたけど、ウイグル人は全然怖い感じがしなくてよかった。
相変わらず子供が可愛くて子供の写真をいっぱい撮ったり、シシカバブーを食いまくったりした。
そのあとダンスを強要されるが太郎の視線が嫌なので拒否。
もともとノレなかったが。
電車が遅れたせいで日数が一日分減っちゃったから強行スケジュールで夜ヤルカンドへ。
その途中ナイフ工場に寄ったんだが、Cさんの「ここのは全部本物。ウルムチトルファンで売ってるのは全部ニセモノ。」の言葉に騙されてみんなナイフ買ってた。
でもここは実際安かったから昼にボラれた俺には悲しいだけであった。
そんで深夜ヤルカンド着。
ホテルが最低だった。



◎3月3日


ヤルカンド→ホータン
ダラダラと砂漠をバス移動。
眠すぎてあんま起きてなかった気がする。
前日の夜バスの中でガイドさんから梨をもらうかもらわないかで太郎とくだらない議論になったのが、この日の夜の飲みにも飛び火してひたすらその話。
太郎の相変わらずのネガティブ節が炸裂して、なぜか太郎は話題の中心になってたw
僕はそんな太郎を指を咥えて羨ましそうに見てましたとさ。



◎3月4日


ホータン→ニヤ
途中よくわかんない遺跡で玉を売りにきたいたいけな少女に卑猥な日本語を教えて、日本人のタチの悪さをウイグル人に知らしめたり。
あとは河原で玉探し。
日曜日だったからか河は玉探しにきたウイグル人どもでごったがえしてた。
当然のごとく玉なんか見つからず。
つかいまだに何が玉なのかよくわかりません。
単なる光る石なのになんであんな値段がつくのか全くもって不明。
その後バスで移動してたらたまたま道端でお祭りがやっててポロっぽい競技をやってたので見学。
そのあとニヤのバザールに。
Cさん曰く「ニヤのバザールは本当に本物のバザール。世界にもう4つしか残ってない内のひとつ。」とのことだったが、実際他のバザールとは雰囲気が違っておもしろかった。
この日は旧正月最後の日だったので至る所で爆竹やら花火やらが上がってて凄かった。
ホテルの目の前の公園ででかい打ち上げ花火がバンバン打ち上げられてて、間近で見れて凄かった。
寒かったけど。
あとニヤはやっぱりホテルクソでした。



◎3月5日


ニヤ→ウルムチ
朝っぱら5時半から出発。
もとは4時半出発だったんだが、ホテルがクソでモーニングコールに頼ってた俺は40分遅刻した。
Cさんが「砂漠をなめるな!」的なお叱りの一言をおっしゃる。
でも正直タクラマカン砂漠は寝てるうちに通り過ぎちゃいました。
ところどころ起きてたけどね。
俺一人で砂山の一番高いところに登って朝日を拝んだんだけど、かなりよかったよ。
でも昼過ぎに砂漠を過ぎたあたりからずっとうんこを我慢し続けた結果、人生で5番目ぐらいの苦しみを味わうことになった。
しかもガソリンスタンドの板に穴が開いてるだけのトイレでうんこしたあと紙を持ってないことが発覚し、緊急事態に陥った。
幸い紙取りに行ってもらえたけど。
恥ずかしかったわ。
そのあとコルラまでバスで行ってぎりぎりで列車に滑り込み。
一路ウルムチへ帰還。



◎3月6日


ウルムチ着。
終日自由行動だったが、疲れてたのと意外とすることなかったので買い物したぐらいで終了。
あと太郎が銀行で両替した結果、Cさんが両替でせこく詐欺ってることが発覚した。
一人1500円ずつぐらい詐欺ってるのだ。
でも全員分にすると10万ぐらいになるから侮れない。
学生時代に年収2000万とか言っておきながら、Cさん、なんてせこい奴。
買い物は地下街でY-3のシブいパチを見つけたり、エログッズを買ったりと結構楽しめた。
ホテルに帰ってからCさん曰く「ここは中国人もめったに来ない本物のウイグル人のレストラン。個人旅行できても絶対には入れない。」とのレストランに行った。
でも実際とってもいいレストランでした。
ここは音楽も凄くいい感じで俺も半分踊った。
つか踊らなかったのもったいなかった。
帰って飲み。
国立大学医学部で趣味は旅とロッククライミング、しかもイケメンで変態な、いかにもモテそうなTさんが実はとっても残念な人だと知り最高に笑った。
Tさんは最高に残念で最高だった。



◎3月7日


こっからはもう帰路って感じ。
駅に行く前に博物館に行ったら意外とおもしろかった。
中国の博物館系は文革でボロクソになってるからあんまり期待してなかったんだけど。
ミイラに少数民族の展示、そしてまったく関係ない人民解放軍の展示とかがよかった。
ミイラは大英博物館のエジプトのミイラよりずっと凄かったです。
なんつうか死んでそのまま凍った感じ。
昼過ぎに乗車。
こっから上海まで48時間。
また色々喋ったが、恋愛話的なものを話すことを強要されて、みんなが妙に真剣にアツく語ってるときに何のネタもない俺はしょうもないウソをペラペラペラペラ喋ったから多少ひかれたっぽい。
まぁ多少は実話も混ざってるんですが。
自分の話はあんましたくないんで。
結局俺の心は閉ざされたままなのさ。



◎3月8日


終日車内。
でも列車にも慣れてきたから時間が過ぎるのがかなり早く感じた。
TさんはAVだけでなくエロゲにも手を出してることが発覚。
何でもツンデレのあとはクルデレがくるとかこないとか。
その辺どうなんですかね?



◎3月9日


夕方上海着。
あんまり自由行動できなくて残念だった。
つか上海は人多すぎてホント嫌です。
でも雑技見たり港湾の夜景を見たりしてそれなりに満喫。
まぁ夜景は香港の方が綺麗かな。
上海も結構よかったけど。
でもライト消えるの早すぎ。
途中フーターズとかいうお触り喫茶が存在するのを知り、行こうと思ったけど時間がなくて断念。
日本にも上陸しないかなフーターズ
アメリカ行ったら俺はフーターズ行くわw
そのあと医学部三人が飛行機で先に帰るのでお別れ会。
飲みではTさんともう一人の女性とひたすら漫画の話をしてた。
と思ったらその女性とTさんはその日で仲良くなりくっついたらしい。
Tさんの嘘つき!



◎3月10日


朝まで飲んでたから10時まで寝てて何もできず上海にお別れ。
あと一泊ぐらいしたかった。
けど上海ならまた来れそうだから次の機会の楽しみにしておこう。
こっからが俺の地獄ロードだった。
最初は余裕だったですよ。
夜7時ぐらいに起きてみんなが苦しんでるのを尻目に優雅に飯食ったりしたんですよ。
でも飯食ったあとがもう。。。
20分おきぐらいに吐いて眠りにつくまで12回吐いた。。
もうお茶すら飲めないんですよ。
お茶飲むと10分後ぐらいに、ちょっとだけすっぱくなってお茶がそのまま出てくるの。
まじ人生で1番苦しかったといっても過言ではないわ。
この苦しみが一生続くなら死んだほうがましだと実際思った。
というわけで死んでた。



◎3月11日


終日船上。
この日になると他の人は大体回復してたんだけど、俺とNさんはダメ。
もう一日中寝てた。
ゲロは出なくなったんだけど、今度はゲリで昼間に12回うんこしました。
今度は下から飲み食いしたものがそのまま出てくる感じ。
お茶飲むと10分後ぐらいに、ちょっとだけ茶色くなってお茶がそのまま肛門から出てくる感じ。
まぁ前日よりは苦しくなかったけど。
この日は最後だから全員で飲み会しててみんな朝まで起きてたんだけど、俺は参加不可で残念だった。
最初ちょっとだけ参加して写真とったんだけど、そのときの顔がもう酷い。
オチ先輩がゲッソリしてるときよりゲッソリしてます。
つかこの旅で体重が4キロ減ったんだが、おそらく3キロは船で減ったものと思われる。
飯2回しか食えなかったし、しかも二回とも吐いたし。
まじ船酔い舐めてたわ。



◎3月12日


三週間ぶりに帰郷。
ようやくちょっとは元気出てきたので大阪を回ってそのあとの飲み会にも参加しようと思ったんだけど、昼に寿司を食ったらまた気持ち悪くなって無理だと気づいた。
まぁ梅田とアメ村と道頓堀をちょっとだけフラフラできたので満足です。
仕方ないので新幹線で帰宅。
荷物も送ってたので15000円余計にかかった。。
痛すぎるわ。。
まぁでも実は新幹線乗るのが小学生以来だったので、結構新鮮だったかな。
昔のイメージだと新幹線の座席はやたら立派だった気がしてたんだけど、今見たら意外と小さくて俺も成長したんだと感じました。
で、帰宅と。


というわけで長ったらしい旅行記でした。
自己満完了!