中東旅行記(2009/2/16〜2009/3/13)

2/16
出発日。横須賀線の最後尾の車輌で待ち合わせたんだが、バッチリ遅刻してしまった。携帯持ってなかったので、太郎とかに連絡できず、成田に着いた後も出発ギリギリまで会えなかったので若干だるかった。というか親に太郎の携帯の番号聞くとかそういうことのできない俺がクソだった。で、出発。乗ったのはKLMオランダ航空。飛行機といえば期待するのはスッチーと機内食だけど、KLMはどっちも微妙だったよ。というかスッチーはオバサンばっかで男もいました。男のスッチーとかなにがやりたいんだか良く分からん。飛行機の中はヒマだったけど別に本読む気とか起きず、映画観てた気がする。インディ4を観たけどうわさどおりクソでしたね。ていうかもう2ヶ月近く経ったら内容ほとんど覚えてないわ。そんなこんなでフライトは長時間続いた。アムステルダムに着くとスイーツっぽい集団が。当然指をくわえて観ている俺ら。特に何するわけでもなくひたすらベンチでボーっとしてた気がしますね。あとオランダの黒人は黒人のわりにインテリそうな人が多くて、オランダってのは恐らく差別のないいい国なんだろうなぁと思った。その弊害としてたぶんスッチーがブサイクなオバサンやおっさんなんだろうな。物事は何でも作用と副作用があるのだと思った瞬間でした。


2/17
深夜にカイロ到着。カイロの空港は超適当で、普通に客引きが国境越えてた。で、トイレに行くとやたらおっさんが親切にしてくれるのだが、出て行こうとすると「バクシーシ」の一言。バクシーシってのは要はチップなんだけど、エジプト人はこれみよがしにやって欲しくもない好意みたいのをしてきて、バクシーシを請求してくるからだるかった。空港で2時間ほど待ってそのままアスワンへ。飛行機がボロくて結構怖かったけど眠かったのでずっと寝てました。アスワン空港はタクシーで街へ。物価が分かってなかったので、三倍ぐらい取られたくさかった。で、駅の辺にいるとデカいエジプト人のおじさんが話しかけてきたので、その人にホイホイ着いていってホテルに。一応地球の歩き方に載ってるゲストハウスだったし、一泊150円ぐらいでゲロ安かったので、あっさりそこに決めてしまった。そんな感じで主体性がない俺らは、おじさんに言われるがまま翌朝のアブシンベルのツアーに参加することに。で、この日は特にすることなかったので近場の貴族の墓とかヌビア村とか行った。そこには船でナイル川を渡ったんだけど、何故か柴ちゃんは船に大喜びでした。で、貴族の墓は正直大したことなかったんだけど、やっぱりいちいちバクシーシを請求されてだるかった。でもナイル川はさすがに綺麗でした。ヌビア村というのは紀元前からエジプトでこき使われてきたヌビア人(黒人)の村なんだけど、やっぱり疎外されてる感じが漂ってましたね。で、子どもが一杯いたんだけど、ウズベキスタンの子どもとは違って擦れてる。何かわざわざラクダに乗ってきてくれたりして、一緒に写真とろうよみたいな事を言ってくるんだが、写真終わったとたんに「バクシーシ!バクシーシ!」の連呼。だるかったので太郎が大量に持ってきたボールペンをあげました。日本製のボールペンはエジプトの特に田舎では誰もが欲しがる大人気商品なので、もしエジプト行く機会があったらぜひ持ってくといいと思います。
てな感じで俺と太郎はそんなにテンション高くなかったのだが、柴ちゃんは初海外とあってテンション高かった。しかし、そのテンションが災いしたか、俺らの持ってる中で一番高級な柴田ご自慢のカメラG9があっさり壊れるwそれ以後柴田は写真撮ってくれ写真撮ってくれうっさかったので、僕らにとってもだるいカメラ故障でしたとさ。


2/18
この日は早朝3時ぐらいに出発してアブ・シンベルへ。世界遺産の代名詞アブ・シンベル神殿だけど俺はそんな驚かなかったかなぁ。僕の中の凄い凄くないの基準は奈良の東大寺の南大門なんだよね。俺の価値観として南大門より凄ければ凄い。凄くなければ大したことない。アブ・シンベルは5000年前ということを考慮すると確かに凄いんだけど、でもそれよりもアスワンハイダムに沈もうとしてたアブシンベル神殿を解体して100M上に移動したという事実の方が凄いと思います。で、バスツアーだったんだけど、同乗者のノリが非常に悪く、途中でアスワンハイダムとか切りかけのオベリスクとかいう名所があったんだけど、みんな行かないというから俺らもいかず。でもそれもある意味しょうがない面がある。エジプトは入場料が高すぎるんだよね。物価がかなり安いから入場料がかなり高く感じるわけですよ。だからいちいちそういう微妙な名所に全部行ってたらすぐ2〜3000円飛んじゃって貧乏旅行者にはありえないわけだ。エジプトはツアーばっかしてしまったので、そんな感じで結構行けないところが多かった。で、結局行ったのはアブシンベルとイシス神殿だけ。イシス神殿はナイル川の真ん中に浮いてるから、船で行くんだけど、そこの船が公定料金があるにもかかわらず、誰もがボる。で、ボんなアホみたいなことを言うと観光客はボラれて当然みたいに逆ギレするからタチが悪い。でも、俺らはツアーの同乗者にフリーライダーして大してボラれずにいけた。神殿には警官が警備してるんだけど、こいつらもまたタチが悪い。とりあえず写真取ってやるとか、写真取ってくれとかは全部バクシーシ狙いなので、めんどかったら避けたほうが無難だと思います。でも柴ちゃんは写真取ってボールペンと金取られてましたw 海外旅行に行くとどこでもいるのが日本人と韓国人。でもこのツアーにいた韓国人はなんかプギャーでした。みんな何故かグラサンをかけ不満そうな顔をしてる。日本人は割といい人多かったけど、凄いブサイクな男が話しかけてきて、歩き方貸してくれとか言われたけど貸さなかったりw そいつにはその後も何度か会ったけどあんま仲良くなんなかった希ガス
で、ホテルに帰るとガサバさんが明日の予定を聞いてきて、ぴったりのツアーがあるから参加しないかと持ちかけてくる。ちょっとツアーの微妙さを感じてたところだったが、結局参加することにしてしまった主体性のない俺らであった。


2/19
この日もガサバさんツアーに乗ってしまったので朝から出発。半分ぐらい昨日と同じ面子だった。途中ブラピみたいな外人が乗ってきて凄かったけど。ナイル川沿いに北に進んでって、途中でちょこちょこ神殿によってルクソールに着くツアーだったんだけど、俺らはこの日の夜発の列車の切符しか買えなかったので、ツアーの車でルクソールをちょっと観て、そのままカイロに電車で直行することに。まぁ神殿がたくさんあってそれなりに凄かったんだけど、残念ながら歴史とか知らないので今一つ感動しない。むしろだんだん飽きてましたね。ホルス神殿と王家の谷はけっこう凄かったけどね。でも門番やら警官やらのバクシーシ狙いがウザ過ぎてもうダメでした。エジプト人の親切は見え透いててホントイヤだよ。トルコもその気あったけど。ボッタも酷くて、王家の谷で売ってた水が何と10ポンド!ゲロ暑かったから買っちゃったけど、よく考えたら水とか1ポンドで売ってるしね。もうエジプトはクソですよ。そんなこんなだったのでエジプトで一番でかいカルナック神殿なんぞはタイムオーバーで入れなかったりしたんだけど、もう大して残念じゃなかったです。こんな感じでルクソールは飛ばして観光して、列車まで時間があったのでネットカフェに入ったんだが、やっぱりエジプト人ネトゲに勤しんでた。ネトゲはどの国の人にとっても最高の楽しみなんですね。でも意外とやってるのはウイイレとかレースゲーとかでガディウスリネージュ的なああいうネトゲをやってる人はいなかったのが不思議だった。ああいうのは勤勉なモンゴロイドがやるゲームなのかもね。中国人もやってたし。で、駅でもかなり長く待ってようやく列車出発。列車は高かった割に狭くて微妙。飯も出たんだけど、ここで出たパンは俺が今まで食ったパンの中で一番不味かった。二人部屋だったので、俺と太郎の部屋としばちゃんと少年の部屋に分かれたんだけど、この少年、真面目だったころの吾郷にそっくりだったよ。今吾郷って何やってんの?


2/20
早朝ギザに到着。電車でちゃんと寝たのかどうかはあんま覚えてない。ギザ駅からピラミッドまでは遠いので、タクシーで行ったんだけど、ちゃんと事前に値段交渉したにもかかわらず、降りたところでエジプト人に囲まれて3倍ぐらいの値段を払えとか言われる。運ちゃんはいい人だったから払わずにすんだけど早朝からムカつきました。で、ピラミッド。さすがにピラミッドはピラミッドだったよ。俺の東大寺基準からいっても凄い良かったわ。本当に三角形でいくらみても見飽きない。バカみたいに写真撮ったね。股間にピラミッドを張った写真を撮ったんだけど、ピラミッド張ろうとがんばりすぎて、ズボンに穴開きましたw だがウザいのは物売り。クソガキどもが「コレあげる」とかいっていらねーターバンかなんか渡してきて、強引にかぶせると写真撮ってやるからカメラ貸せといわれる。で、写真撮ると「バクシーシ!バクシーシ!」の連呼。もう分かりきってたんだけど、請求するバクシーシ代がクソ高くてムカついた。ガキならガキらしくしろと。で、あまり人のいないゾーンでまったりしてたら、やたらポーズを決めて写真を撮ってる外人のおねいさんがいる。写真取ってくれと(柴ちゃんが)せがまれたので、撮ってあげてたら、柴ちゃんが写真下手くそなのも相まって、ものすごい注文が多く10分ぐらい写真撮ってた希ガス。なにやらアルゼンチンで学校の先生をやってるらしく、優雅でいいなぁと思いました。別にいい人だったけど。で、スフィンクスの視線の前にあるケンタッキーで飯食ってカイロに移動。イスマイルホテルってとこに泊ったんだが、ここがなかなか凄かった。別に部屋は隙間風で寒い感じの簡素なつくりだったんだけど、エレベーターが何と木製!今にも底が抜けそうで絶望的に怖かったけど、それはそれで楽しかった。で、ちょっとグータラして夜の街に繰り出してみたんだけど、別にカイロは健全でしたね。人は凄い多かったけど。怪しいところは見つかんなかったな。なんかエロい下着が大量に売ってたけどね。でもエジプトは交通ルールが絶望的に悪かったので、道路わたるのが一苦労でしたよ。だって誰も信号守らないんだもの。車は常に突っ込んできて、人は車の合間を縫って道路をわたる感じ。この酷さはタイなんてもんじゃなかったね。そんなこんなで晩飯にコシャリ(エジプトの炭水化物だらけのファストフード)喰ってこの日は睡眠。


2/21
この日は一日カイロ観光。オールドカイロ→イスラーム地区とカイロまわりました。オールドカイロってのはその名のとおり昔のカイロの中心で、イスラム教じゃなくキリスト教の教会がいっぱいある。たぶんキリスト教徒だったら楽しいんだろうけど、俺らはキリスト教の学校出たけどまったく知識ないのでなんか微妙だった。で、タクシーに乗ってイスラーム地区の王城跡に行ったんだけど、中国人に同乗誘われたけどガン無視した希ガス。クソですね。カイロの王城と有名なモスク、ガーマ・なんとかは結構立派だった。で、その途中ヒマだったから、下ネタ川柳しりとりみたいなどうでもいい会話してました。日本語が通じないとしょうもないことを屋外で喋れるからいいよね。そのあとはイスラーム地区をブラブラ。色々凄かったんだけど、そこまで心に訴えかけるものはなかった希ガス。途中ハン・ハーリっていう有名なみやげ物街にいったんだけど、ここもあんまり惹かれるものがなくて何も買わなかった。エジプトの記念品欲しかったんだけどね。そんなこんなでほどほどに楽しく観光。かなり歩いたから結構疲れた。カイロはまぁ楽しかったんだけど、驚きはそんなになかったかな。とりあえず交通ルールが悪さはガチだった。あと、有名なエジプト考古学博物館ツタンカーメンのマスクとかあるとこ)ぐらい行けばよかったかな。スケジュールぎゅうぎゅうだったから結構駆け足になってしまったのが残念。で、宿でちょっと休んでバスターミナルへ。夜行でダハブに旅立ちました。


2/22
朝ダハブ到着。夜行で10時間近く移動してたにも関わらず、トイレ休憩とかが全くなかったので、降りるときうんこしたすぎてやばかった。エジプトのトイレはアラビア式だったけど、アレはアレでケツ付かないから清潔なのよね。中国の汚すぎるトイレを経験済みの僕には余裕のトイレだったよ。で、着いてタクシーで宿まで移動。一番旅行者がよくいるらしいセブンヘブンという宿屋に行った。そしたらやたら日本人が居る。どうもダハブというところは日本人がたむろす場所らしい。アスワンであったブサイクな大学生にも再会できました。彼はサハラでキャンプしてたらしく、楽しげだった。で、ダハブなんだけど、タイのリゾートみたいな雰囲気で確かに凄く居心地良さそうな感じだった。タイとの違いは海の綺麗さだろうか。ダハブの海は綺麗過ぎてやばかったよ。冬で寒かったからシュノーケルとかしなかったけど、やっとくべきだったわ。で、宿の前のレストランでぼーっとして、宿でも無理に三人部屋にしてもらって内輪でぼーっとしてって感じで、かなりボーっとしてましたね。旅行の醍醐味ですな。でもぼーっとしてる時間のそんなにないアクティブな旅行なので、さっそくシナイ山ツアーを申し込む。それなりの金を払ったけど、まぁなんとかなった。で、お土産屋にいると、しばちゃんにおじさんが話しかけてくる。何なのかと思ったら、ヨルダンから来た人らしく、ワディ・ラムがやばいとの話だった。俺らはワディ・ラムには行く気なかったんだけど、そのおじさんのいうことを聞いたらコース変えて行ってみたくなった。そのあと例のブサイクな大学生と話してたところ、どうやらエジプトでテロがあったらしく、しかもそれが俺らが昨日居たイスラーム地区のハン・ハーリであったらしく、外国人を狙ったテロで一人外人が死んだらしかった。ガチビビったけどどうしようもないので、その日は就寝、というか11時ごろシナイ山に出発した。


2/23
シナイ山。同じバスにはインド人と欧米人の集団と韓国人の女の子が居たんだけど、みんなキャラが違ってなんか文化の違いを感じましたね。シナイ山は富士山みたいな感じで日の出を観にみんな登るんだけど、登ってる間インド人は体力なくてひたすら文句いってる。で、欧米人はアフォなのでタンクトップにビーサンとかで登ってる(ちなみに外気は確実に零下)。で、休憩所になるとすぐベタベタ。指を咥えて観てる俺。で、ガイドのちょっとカッコいいエジプト人は韓国人の女の子にベッタベッタしてました。俺らは三人でガタガタ震えてたよ。クソ寒くて最後のほう足の指の感覚なくなってたし。でもシナイ山はさすがの景色で、一面の岩山に朝日が昇る風景は日本では観れない神々しさだった。俺的に凄かったのが、頂上にあったトイレとそれの番をしている人。あんなクソ寒いところで一日中トイレ番するとか死んでもイヤですね。のぼりは3時間ぐらいかかったんだけど、下りは1時間半ぐらいで降りれて、ふもとの教会へ。何でこんなとこにあるんだか分からない教会だったけど、今写真を見るといい感じの教会でした。でもそれよりも空の色が真っ青で凄かったかな。で、疲れたからこの日は帰って睡眠。翌日の国境越えフェリーの交渉を宿のおっさんとしたんだが、疲れてたからかめんどくなってあんまり値切れなかった希ガス。翌日も早いのでこの日はすぐ就寝。たぶん。


2/24
早朝ダハブ出発。眠かったのでバンの中じゃ爆睡だったけど、途中で起きたときに見えたサウジアラビアから昇る朝日が凄い綺麗だった。サウジは一生行けないんだろうなぁ。で、ダハブの北のヌエイバという小さな港から船で出国、一路ヨルダンのアカバへ。船は1時間ぐらいだったけど欧米人の女の子がやたら可愛くて隠し撮りとかをがんばってしてた希ガス。ヨルダンの入国審査ははんこ押すだけで超適当でした。俺らはツアーの途中で降りるっていう意味わかんないことをしてたんだけど、日帰りのツアー客と同じ扱いだったみたい。で、アカバに着いたらいきなりリゾート地でビビった。ダハブもリゾートなんだが、B級感が漂ってたんだけど、アカバはクルーザーがいっぱい停まっててA級な感じ。ヨルダン人はベドウィンの格好している人が多くてカッコよかった。だが、着いたところがホテルのビーチみたいなところでアカバの街とは離れてたんだけど、俺らはツアーじゃないのでツアー客に置いてきぼりにされそうになってしまった。何とか待ってもらえたけど。で、ワディ・ラムに行こうとバスを探しているとタクシーの運ちゃんが話しかけてくる。今までエジプトで散々ボラれてきたからかなり疑ってたんだが、実はその兄ちゃんは超ナイスガイだった。とりあえずジュース奢ってくれたし。で、その人の紹介で結局ワディ・ラムの案内を頼むことになったんだが、それはそれでビジネスだった。けど、ビジネスにしろこっちに嫌な思いをさせないんだったら金ぐらい払いますよね。で、ワディ・ラム。ここは凄かったよ。アラビアのロレンスの撮影場所らしいんだけど、砂漠あり、奇岩あり、ベドウィンもいれば野生のラクダもいるしで、最高でした。石の橋とか赤い砂山とか行った人しかわからんだろうけどとにかく最高だったよ。あんまり楽しかったのでアホな写真を一杯とって凄い楽しかったです。で、キャンプしたんだが俺ら三人は欧米人の中に溶け込めず孤立。で、話聞いてたジャパンのファイナンシャル・ミニスターがドランクしてどうのこうのって話をして笑ってた。当時は中川大臣が酔っ払い会見でクビになったときだったんだけど、あのニュースは海外でもかなりの笑いものになってたようだ。ファック。でも外人が集まって話がなくなると政治の話とかになるから不思議だ。政治の話はできるといいなと思いました。そんなこんなでメシ食ったところでそのまま寝ちゃって朝は灰臭くなってましたとさ。


2/25
朝バス停まで送ってもらってそこからペトラへ。移動中ひたすらガイドのお兄さんが俺らをツアーに勧誘してきて若干だるかった。なんか値切り交渉もだるくてダラダラ話してたからあんまり外の景色見れなかったのが微妙だったかな。結局死海行きのツアーに乗っちゃったし。で、この日は昼にペトラがあるワディ・ムーサについて午後からペトラ見学。さすがに凄かったんだけど、時代背景とかが良く分からないから「ふーん凄いなぁ」って言う域は出なかったかもね。なんか夜行くとヤバい綺麗らしかったんだけど、入場料がクソ高いのと太郎柴田が全く行く気なかったので、チキンな俺は結局行けなかった。行けばよかったなぁ。だがペトラで秀逸だったのはオバチャンが売ってた謎の人形。他のお土産は量産品の臭いを漂わせてたんだけど、その人形は手作り感あふれるというか俺にも作れそうだったw でも物質的にはたぶん作れるんだけど、絶対にあの意匠を作ることはないんだよね。もはや芸術作品ですよ。今も僕の部屋に安置されております。そんなこんなでこの日終わり。


2/26
前日バスの中で金を払ってしまったが、口約束だけだったのでちゃんと車が来るのか心配だったが、朝にはちゃんと車が到着していた。車もカッコいいSUVだったので安心。で、この日はワディ・ムーサから死海→アンマンという盛りだくさんの日程。とりあえずずっとドライブして死海へ。ワディ・ムーサは高地にあるのでずっと山道を下っていたんだが、景色も良かったし、時々ベドウィンのキャンプがあったりして面白かった。で、死海周辺にたどり着くと運転手のおっさんが「俺のビーチに来ないか」的なことを言い出す。で、最初は何の話なんだかよく分からず、ガイドブックには載ってないような安くて綺麗なビーチがあるのかと思って「いいよ」とか言っちゃったらその後事件が起きた。連れてかれたのはゴミが散乱してるビーチとは呼べない浜辺。で、こんなところはイヤだというと「お前はここでいいと言ったじゃないか」的なリアクションで金払えとか言ってくる。ここで、それまでもキレた顔をしてた柴ちゃんがキレたっ・・・!いきなり「WHAT'S YOUR NAME!」の咆哮っ・・・!相手の返事は「My name is アブドラ」でしたwww そこで「アブドラっ・・・?アブドラだなっ・・・!?」とかキレて言い返す柴ちゃんには笑いを禁じえなかったよww だが、とにかくここはイヤだと伝えて本来の目的地のビーチへ。確かに金は取られるけど、断然綺麗だったので確実に行ってよかった。こんな感じで全く気分よくなかったんだけど、実際いってみると死海はクソ楽しかったよ。リアル浮くし、塩の結晶だらけだし、とても不思議な体験でした。舐めてみるとしょっぱさを通り越して苦辛かった。だけど15分もすると身体ピリピリしてきたのと、浮く以外はどうしようもないことに気づいたので早々に引き上げ。死海の泥パックとか売ってたが、中身が怪しいので買ったりはしなかった。戻るとおっさんがブツクサ文句を言っており、次の目的地のハママートマインには行きたくないと言い出す。もう金払ってるんだから契約を履行しろと言ってなんとか行ってもらったがなんともだるい感じ。でもハママート・マインもクソ楽しかったよ。ここは温泉の滝があるとの話を聴いて行ってみたんだけど、リアルに温泉の滝があった。滝は20メートルぐらいあったろうか?滝つぼが温泉になってて滝を直接浴びられるんだけど、もう気持ちよすぎてイキそうでしたね。日本にもできて欲しい温泉の滝。で、そのあともブツクサ言われながら王都アンマンへ。途中他の場所にもよるはずだったんだが、もうこれ以上ブツクサ言われるのもダルかったのでアンマンに直行した。で、結局その親父の紹介のホテルに行ったんだが、そこもなんとも微妙だった。最初は宿のおっさんが凄いフレンドリーで車で商店街まで送ってくれたりしていい感じだと思ったんだが、何か宿に人いないし、シャワーの水圧が弱すぎるし冷たすぎるし、パソコンの中ウイルスまみれだしで、結構色々ダメダメだった。ただ、アンマン自体はなかなか風光明媚で、真ん中に城跡がありその左右の脇が谷になってて、谷沿いに住宅がビッシリ並んでいたのが印象的でしたね。宿には日本人の二人組の女の子が居たんだけど、全く可愛くなかったので話しかけず。そんなこんなで割とヒマだったのでどぼんとか始めてしまった。その結果このあとは常にどぼんしながらの旅で、むしろどぼんがメインになっちゃった気がしないでもない。


2/27
この日はジェラシュというローマ遺跡に。本当はもう一つサルトというところにも行く予定だったんだけど、宿のおっさんにつまらんと言われたからやめた。で、車をチャーターして行ったんだけど、運ちゃんのおっさんは割といい感じだった。と思いきや意外と手抜き。たぶんサルトってところに行くのがめんどかったから行かなかっただけっぽかった。でもジェラシュはなかなか綺麗でしたね。ローマ遺跡はここが一番よかったかも。最初ってのもあったが。でもやっぱペトラが凄かったからそれに比べるとボチボチ。これ以降ローマ遺跡は何個も出てきたんだけど、だんだんしょぼくなってったから最後の方は結構飽きてましたね。運ちゃんはヒロシマナガサキとか言ってきて、俺らの愛国心を刺激してくれたんだけど、結局最後の方は手抜き丸出しで微妙だった。ヨルダンは嫌な人は居ないんだけど、それなりの観光地ズレというか、微妙な観光客割り増しみたいのがおおくてそれが微妙でしたかね。で、帰ったらこの旅行始まって以来初の雨。しかも大雨になってしまったので、部屋でひたすらドボンしてた希ガス。で、晩飯時になっても雨が止まないから、仕方無しに出かけたけど、メシがカップ麺ぐらいしかなくて寂しい晩となってしまった。この宿はシャワーが電気で暖めるヤツでチョロチョロしかでない。しかもだんだん北に来てたのと雨のせいで気温も低くてやたら寒かった。宿の人に毛布借りまくった気がしますね。そんなこんなでアンマンも終了。翌日はシリアに旅立つこととなった。



2/28
この日は朝出発してシリアへの国境越え。運ちゃんはもの凄いゴツくて、声が低くて凄いカッコよかった。だがこの日も天気があまりよくなくて寒い。セルビスに乗ってたんだが、俺らは3人だったので運ちゃんが途中で人を乗せたがったんだけど、雨に濡れまくって寒そうに震えているおじいさんを乗せようとしたときに太郎と柴田が絶対イヤだみたいな感じだったのがなんともアレだった。僕もどっちかというとイヤなんだけど、おじさん俺らと運ちゃんが乗せる乗せないでモメてる間にビショビショになっててちょっと可哀想だったね。で、国境越え。日本でビザとってたから意外とスムーズに超えれました。やっぱり役人の仕事は遅かったけど、キルギスとか程舐めた感じではなかったよ。で、本当はダマスカスの前にマダバというローマ遺跡に行く予定だったんだけど、ローマ遺跡はそのあとも一杯あるからカットして一気にダマスカスに。でもやっぱ天気が悪かったので、さっさと宿に引き篭もって何もしなかった希ガス。どぼんしたか。ただ何故かシリアは日本人だらけだった。ヨルダンじゃそんなに会わなかったのにね。で、ネカフェに行ったら可愛くない女の子がミクシーにシコシコ日記書いてたので、特に話しかけず。シリアは人が良いと聞いてたんだけど、ウズベキスタンほどではないですかね。タクシーはメーター使ってくれなかったし。とりあえず翌日清水に会おうって事で連絡取ったりでこの日は特に何もせず就寝。いつもどおり巻きサンドイッチみたいなやつ(確かシュワルマ)を食ったぐらいだったが、ちょっとシュワルマにも飽きてきてうまいメシが恋しい感じだった。


3/1
この日は天気良かったので、さすがにどぼんばっかやってるのもどうかと思い、外出。ダマスカスの旧市街は町そのものが世界遺産なので行ってみた。けど、カイロの方が凄かったかな。つうか柴田太郎が興味を全然示さなかったので、イスラム教第4の聖地と呼ばれるウマイヤドモスクも素通りしてしまったし。もう少し彼らには街歩きの楽しさを覚えて欲しいものだ。で、一通り見終わったら、ネカフェ行くとか言い出したので、俺は一人でカシオン山というのに登った。カシオン山ってのは旧市街にある丘みたいなもんなんだけど、尾道を馬鹿でかくしたみたいでひたすら階段が山頂まで続いており、なかなか良かった。登ってる途中で道に迷ってたら、少女が覚えたてみたいな感じで話しかけてきて道案内をしてくれ、凄い楽しかった。日本人だというと、ジャパンアメイジング!との言。こういうの聴くと先人に感謝したくなりますね。で、山頂に上ったらダマスカスの全貌が見えて凄い景色が良かった。さすが古来からの都市、街がずっと続いていて本当に広かったよ。で、宿に戻るとまたどぼん。この頃からレートを上げたらヒリついて清水が来てるかもしれないのを完全無視してアツくなってた。で、さすがにどうかと思い宿の中庭に行ってみると、清水がいた。謎の再会。で、せっかくなのでガイドブックに載ってたチキン屋に行ってチキンを買い込み、近くの酒屋(凄いコソコソ営業している)でビール買って、部屋で宴会。旅行始まって以来初めて酒飲んだせいか、すぐ酔う。でもビールもチキンもすごい美味かったよ。特にチキンは謎のマヨネーズソースがゲロうまで、この旅一番の味だったかもしれない。で、清水がレバノン行ったというので、その話を聴いて俺らもレバノンに行きたくなったんだけど、日程的に無理だと思い、結局いけず。翌日行ったパルミラが微妙だったことを考えると、がんばってレバノン行くのも良かったかもしれない。そんなこんなで清水と別れて、またしてもどぼんに勤しみ、この日は終了。


3/2
この日はバスでパルミラへ。あんま評判がよくない感じだったけど、とりあえず行ってみると、確かにあまり修復とかされてなくて微妙な感じ。というか確かに凄いんだけど、もうすでにペトラジェラシュとローマ遺跡っぽいのは見てしまったので、それと比べると別にって感じですかね。ただひとついいところはシリアは国際学生証が効きまくること。エジプトは半額だったけど、なんとシリアは全て10ポンドになる。元値が150ポンドぐらいだったから9割引以上でしたね。で、また昼はシュワルマで済まし、ハマへ。ハマは周辺の観光地に行く拠点みたいな場所で、確かハマ自体も世界遺産なんだけど、夜着いたせいもあって何が凄いのか分からなかった。名物の水車も動いてなかったし。ただ良かったのは宿。ハマは観光の拠点だけあって世界中から旅行者が集まるらしく、安宿の質が高かったですね。部屋綺麗だし、シャワーあったかいし、おじさんは英語うまくて日本語も喋れるし。で、この日はちょっと外をふらついて飯喰った以外は特に何もせず、部屋でどぼんしてた希ガス。そんな感じの特に感動のない日だったかも。


3/3
この日は宿のツアーでクラック・デ・シュバリエへ。クラック・デ・シュバリエというのは十字軍時代の城なんだけど、なんとラピュタのモデルとされる城なんだよね。ラピュタファンの俺らとしては行かないわけにはいかない。けど、アクセスが結構めんどくさいので宿のツアーで行ったというわけ。で、行ってみたら車に乗ってる間酷い雨。アンマン以降はあんま天気良くなかったけど、それにしても一番酷い雨だったかもしれん。だけど嵐の中を山に登ってって、丘にそびえる城に近づいてくと、何と晴れてしまった。そういえばラピュタも嵐の雲に囲まれてるんだけど、城の中は晴れたよね。そんな感じでいい気分でしたよ。城自体も十字軍時代のものだけあってなかなか立派。ローマン遺跡には飽きてたので、一味違ってよかった。ラピュタごっことかをして楽しく過ごしたけど、俺が太郎の帽子をかぶったら汚いパズゥみたいで微妙だった。むしろシータがいないけど。楽しくて写真とりまくってたのは良かったんだが、派手にデジカメを落としてしまって、一瞬動かなくなりビビった。壊れなくて良かったけど。でもなんか日本人のツアー団体とかもいたし、そんなにめずらしくもない場所なのかな?で、その後トルコとの国境の街のアレッポへ。アレッポ自体も世界遺産なんだけど、夜について大して見る暇もないし適当に流せばいいんじゃないかと思ってたんだが、かなりいい場所だった。路地が迷路みたいになってて、変なベランダみたいなのが張り出してる古い石造りの家が立ち並んでて、かなり綺麗な街でしたね。お城もあるんだけど、これもクラックデシュバリエよりもデカいかなり立派な城だった。予想外に面白かったからもっといたい街でした。アレッポでもう一つ有名なのが石鹸。なんで有名なのかはよく分からないけど、たぶん由緒があるんだろう。俺も昔テレビで中東の石鹸が有名な町の存在はかすかに記憶にあったんだけど、アレッポだとは知らなかった。けど、どれがいいのかサッパリ分からなかったので、適当に切り売りのできるだけ汚らしい石鹸を買っただけでした。で、飯屋で適当に飯食いまくって、夜のアーケードをブラブラしてたら、100円ショップみたいのが。全く欲しいものなかったけど、太郎柴田はそんなところのクズい商品をお土産にしようとしたのか、結構長い時間物色してた。俺はヒマだったので、外をブラブラしてると子どもが近づいてくる。で、話しかけてきたので日本人だというと、腕に漢字を書いてくれとせがまれたので、「虎」とか「龍」とか書いてあげたらやたら喜んでたのでこっちも嬉しくなりました。そんなこんなで宿に戻ってまたどぼんしてたんだけど、倍プッシュにしたらドボン喰らうと2000円ぐらい動くそこそこのギャンブルに発展してしまった。なんかヒリついてアツくなって2時間ぐらいやったら凄い疲れましたね。そんなこんなで、この日でシリアも終了。翌日はついにトルコだ。


3/4
この日はアレッポを出発してトinイン。運転手はマリオみたいな顔したおっさんだった。シリアの国境は多少手間取ったんだけど、トルコは問題なくあっさり通過。さすがEUだ。あとで聴いた話によると、国境付近はそれなりに治安が悪かったらしい。で、トルコに入ってまず気づいたことは、景色が違うこと。これまではずっと荒野だったんだよね。あんまり山とかはなくて、荒地が続いてた感じだったんだ。でもトルコに入ると山がある。緑がある。ちょっと日本に近づいた気がしました。で、飯もうまい。次のカイセリって町に行くバスを待ってる時間飯屋とネカフェに行ったんだけど、適当にその辺の飯屋に入ったのにやたら美味かった。さすが三大料理だ。あと文字もアラビア文字からアルファベットになって読みやすい。一気に近代化した感じでしたね。で、両替したかったので、マリオみたいな運転手に連れてってくれと言ったらあっさり連れてってくれたんだけど、やっぱチップ要求された。シリア人は凄い人が良いと聞いていて、実際いい人多かったんだけど、さすがにウズベキスタンほどではなかっただろうか。で、バスがなかなか来なくてカイセリって町に着いたのは結局22時。トルコは広いので移動時間が長い。そしたら柴田が風邪引いたとか言い出し実際クソ寒そうにしてた。カイセリはカッパドキアへの拠点みたいな感じの町で、カイセリ自体も城壁とか見所はあったみたいなんだけど、着いたの夜だし寒いし柴田体調悪いしで何もせず。ホテルも安いところを探して入ったら凄い場末な感じでお湯も出ないし寝るしかなかった。


3/5
朝起きたら柴ちゃんは絶不調。だけど、このクソ寒くて何もないカイセリにとどまってるわけにもいかないので、とりあえずカッパドキアに行くことに。バスで2時間ぐらい進むと、変な地形になってくる。有名なヤツですね。さすがにカッパドキアは他にない風景で凄かったです。ギョレメというところに泊ろうと思って行ったんだけど、奇岩を利用した洞窟ハウスみたいなのがいっぱいあって、テーマパークみたい面白かった。ローシーズンなので人は少なめでいい感じだったし。その分天気悪かったけど。で、結構迷った挙句になんとか洞窟ホテルを見つけ出して柴ちゃんをベッドに寝かしつける。どうしようもない感じだったけど、せっかくカッパドキアに来たのに観光しないわけにも行かないので、ジュースとパンだけ置いて柴ちゃんは放置して俺と太郎だけで奇岩ツアーに行った。ずっと歩いてブラブラしてたんだけど、確かに凄い。チンコ岩ばっかで、チンコポーズをいっぱいやって楽しかったです。当てもなく歩いてたけど、岩窟教会とかさりげにあっておもしろかった。惜しむらくは道で会うのが日本人と中国人しか居なかったことですかね。なんか異国に居る感じがあんましなかったかも。特に中国人は相変わらず派手な格好してツアーでベチャクソ喋って旅情を破壊することこの上ない。中国で見る中国人には別に反感覚えなかったけど、海外でみる中国人は正直だるいよね。で、一応柴ちゃんが心配なのと雨が降ってきたこともあり、早めに戻ると案の定柴ちゃんは死んでいた。飯を食いに行く気力ないらしかったので、またチーズとジュースを枕元において放置して俺らで晩飯。トルコはパンがうまいので、序盤は飯にはかなり満足してた。で、寝るかと思ったところで一つ問題が。洞窟ホテルは狭かったから、シングルベッドとダブルベッドの二つしかなかったんだよね。で、シングルベッドは柴ちゃんが死んでるから、必然的に俺は太郎とダブルベッドで寝ざるを得なくなってしまったのよ。太郎と言えばいびきがうるさくて、太郎の隣のベッドを避けるために俺と柴ちゃんでジャンケンして寝る位置を決めていたほど。絶望したのと、太郎に「ダブルベッドで寝たことあるのか」的な茶化しを受けたのでイヤになったが、仕方がないので寝ることに。でも意外とその日の太郎は静かだったので寝れました。まぁえがった。


3/6
この日は前日バス会社に頼んだカッパドキアツアーに。柴ちゃんは相変わらず死んでいたので、またジュースとチーズかなんかを置いて放置していってしまった。で、この時期のトルコに来るのは日本人ぐらいなので、ツアーに行ったら同乗者は日本人ばっか。だけどあんま会話がない。日本でツアー旅行してるみたいでしたね。でも行ったところは面白かった。まず行ったのが地下都市。昔カッパドキアに住んでたキリスト教徒が敵が攻め込んできたときに逃げ込むように作った地下城みたいのなんだが、これが凄い!地下14階とかあるらしく、(入れるのは確か4階ぐらいまで)最大で2万人が生活できたとかできないとか(数値はもう忘れたので適当)。道が狭くてリアルダンジョン。最初に見つけた人はさぞ楽しかったことだろう。で、それから渓谷みたいなところを歩いてたんだけど、トルコは周囲の日本人がガチ旅行者じゃなくて、なんかイヤな感じがした。要は僕らも旅行で汚れてきたのもあるし、そもそもが耐久性のある服か安くて汚くなってもいい服を着てるわけですよ。でも彼らは日本の街中と一緒の格好をしてるの。で、なんか旅してる感じが薄れてちょっといやな感じでしたね。まぁ旅に毒されてただけかもしれないけど。渓谷でよかったのは野良猫。たぶん人に慣れてるんだと思うけど、人生で一番可愛い野良猫に出会ってしまって写真撮りまくった。僕はゴツくて金玉が股間からはみ出してる感じのネコが好きです。ウヒヒ。で、飯を食う段になって、日本人と同じテーブルになったんだけど、全く会話がない。俺は気まずいのが嫌いじゃないという特殊な感情の持ち主だからそれほどでもなかったが、太郎は相当苦痛に感じていたようだ。そんなこんなでツアーは終わり、戻ってみると懸案の柴ちゃんはだいぶ元気になっていた。でもやっぱジュースしか飲んでなかったらしい。この日の夜には次の目的地であるパムッカレに行かないといけなかったので、飯食ってシャワー浴びてとっとと退散。柴ちゃんはトルコ最大の見所であるカッパドキアを観れず可哀想だったが、旅は終盤へと近づいていく。


3/7
夜行でパムッカレへ。このバスには外人の中高年夫婦が乗ってたんだけど、結構いい歳でよくがんばるなぁという感じだった。俺も歳食ってもあれぐらい元気でいたいものだ。相変わらず日本人が多くて、よくすれ違いましたね。泊った宿にも居たっぽいんだけど、特に絡まず。パムッカレは石灰棚(世界遺産)で有名な町。石灰棚というのは丘の上から石灰質の温泉が流れ出てるせいで、丘全体が石灰に覆われて雪山みたいになってる景勝地です。単に観るだけじゃなくて、石灰棚には登れるし、上には温泉プールもある。あと石灰に埋もれたローマ遺跡とかもあってなかなかおもしろい所なんだけど、若干旅行疲れした俺らは大して楽しめなかった気がする。石灰棚は保護するためにはだしで登らなきゃいけないんだけど、寒かったのと温泉の温度が大して高くないせいで足元はメチャクソ寒かった。上のほうに行くと温泉が温かくて良かったけど。たぶん天気よければ凄いいいところなんだと思うんだけど、残念ながら季節的に全然天気良くなかったので、相変わらずさらっと流して通り過ぎてしまった。その代わり石灰棚を降りてしばらく歩くと温泉宿みたいのがあったのでそこでゆっくりすることに。宿は誰も居なかったので快適でしたね。温泉はさすがに石灰棚を生むだけあって凄い石灰質。要は風呂釜(というかプール)の底ががヌルヌルしてて凄かった。出ると雨が降ってたので、特にやることもないから暇つぶしに汚くなった俺らの顔を写真に撮ったり。太郎の顔がキチガイみたいで凄い面白かったよ。で、宿に戻ると宿の人が明日はどうするのかと聞いてくる。で、バスのチケットはここでしか買えないとか言う嘘をついてきたので、ウザくなって無視し、部屋に戻ってドボンして睡眠。トルコ人は対日感情がいいっていうのが従前の俺の認識だったんだけど、旅しているとそうではなくて単に日本人をカモだと思ってるに過ぎない気がしてきたね。まぁしょうがないんだけど。


3/8
この日はパムッカレからエフェスへ。朝飯を食ってると、日本人の女の子が居たので俺らにしてはめずらしく話しかけてみた。確か大2だった気がするが、どうも一人で旅してるらしい。一人で旅できず、3人で固まってるだけだった俺らとは大違いでしたね。でもなんか太郎とかがこの女の子に僕のことをどうかと聞き出したので、雰囲気が聖光っぽくなくてイヤな感じでしたねw 僕は別に海外一人旅してる人は嫌いじゃない。可愛ければ。海外一人旅してる女性は基本的に強い人が多いので、女性には自分勝手に生きて欲しいと思っている僕には合ってるのかも知れませんね。もちろん連絡先聞いたりはしなかったが。で、バスでエフェス(セルチュク)へ。たぶん2時間ぐらいで着いた気がする。セルチュクのバス停は客引きがウザかったので、とりあえずロカンタに避難。ロカンタのおじさんは明らかにアル中で手がプルプル震えてて笑った。でもこのロカンタ客が全く居なかったので、味の心配をしたんだけど、予想通りあまりおいしくはありませんでした。というかこの辺からトルコ料理に飽きはじめてたかも。ロカンタから出た後も眉毛のつながった男が次どこに行くのかとしつこく話しかけてきたので、ガン無視してバス会社を決め、荷物を預けてエフェスへ。なかなか綺麗な遺跡だったんだけど、残念ながらペトラ以降ひたすらローマ遺跡を見ており、だんだんグレードが下がってたので、全くといっていいほど楽しめず、30分ぐらいで出ちゃった気がする。入場料高かったのに。その後もブラブラして城があるから行ってみたり、子どもと戯れたりしたんだけど、なんか旅疲れが出たのか大して楽しくなかった気がする。で、イスタンブール行きの夜行が出発するのに時間があったので、その辺のお土産屋に入ってみると日本人が。店主のおばちゃんが日本人好きで、日本人を店に招き入れてたらしいんだが、その店に居た日本人はこっちが明らかに日本語喋ってるのにいきなり英語で話しかけてきてマジアホかと思った。まぁよっぽど自分の英語力を自慢したかったんだろう。お土産屋さん自体は悪くない店だったんだけど、日本人がウザかったのと特に買いたいものもなかったので、さっさと退散。ネカフェで時間を潰してバス停に戻ると、さっきのガン無視した眉毛のつながった男が話しかけてきて、「どこのバスにいくらで乗るんだ?」と聞いてくる。「〜に40リラだ」というとその男はいきなり笑い出し「プッヒャー!うちのバスはエアコンつきで35リラだ!だまされてやんの!アホ!」的なことを言ってきたので、ウザ過ぎて逆にワロタ。そんなこんなで、それほど気分良くなく、旅の最終目的地イスタンブールへ夜行バスはひた走る。


3/9
最後の街、イスタンブールに早朝到着。それなりに都会といえば都会なんだけど、最新式の路面電車とジャーミィと石畳の新旧と欧亜の混じりあった、なかなか風光明媚なところだった。とりあえず宿を見つけにアヤソフィアの近くに。ヨーロッパ人パッカーがよく泊るというゲストハウスに行ったんだけど、部屋の扉を開けてみたら、上半身裸のおっさんで充満してて部屋が異常に蒸し暑く、ゲンナリしてまたしても俺らだけで泊ることになった。で、とりあえず休んだあと新市街の方に行ってみることに。イスタンブール路面電車で大体のところは行けるので楽。俺らが泊ってた旧市街と新市街の間には金角湾という湾があって、そこにガラタ橋という橋がかかってるんだけど、トラムでそこを通ったら平日の昼から釣りしてる人ばっかで面白かった。新市街をブラブラ歩いてると、トルコ人の兄ちゃんが日本語で話しかけてくる。なにやらその兄ちゃんは横浜のダイエーの前のケバブ屋で働いてたとのことで、意気投合した(つもりになった)。で、トルコには風俗あるのかとかクラブとかはどうなのかと聞いてみると、まぁ女遊びはあるにはあるが危ないとのこと。兄ちゃん曰く、トルコで女捜すより日本の六本木とかのクラブに行った方が外人ってだけでチャラい女が引っかかってはるかに楽チンだとか。まぁそうなんだろうなと思いつつ、その兄ちゃんが俺の店に来い的なことを言うので着いていくことに。店はお土産屋みたいな感じで、その兄ちゃんも結局客引きだったのは残念だったが、アップルティーを飲んでけというので一応寄ってみることに。すると中にブスな女の子二人組がいる。お前ら喋ってけとかいうウザい事を言ってきたので、一応喋ってると奥から社長と称する胡散臭いトルコ人が。なんでも新宿にトルコ料理屋を開いてるらしく、トルコでもお土産屋を経営、要は日本人を相手に儲けてる人らしい。が、この社長がウザ過ぎて面白かった。まずブス子ちゃんにマイハニーだとかキュートだとか言ったあとに、何でお前ら日本人のクズ男どもははハニーとかキュートとか言わないんだと言われ、ハニーとか言えないお前らはクズだと言われる。さらに、俺らがエジプトでテロに遭いかけた話をすると、「テロとかダメ。ラブ&ピース」とかダルいことを言い出し、それに対してブス子ちゃんたちが真面目な顔でうなずいてるのがプヒャーだった。俺もラブ&ピースとか言えばいいんだろうか?結局ブス子ちゃんは高いトルコ石を買わされていたが、当然俺らは何も買わず。社長がウザ過ぎたので対トルコ人感情はさらに悪化してしまった。新市街は特に何もなかったので、アジア側にも行ってみることに。船に乗ってアジア側に行くんだが、それなりに風光明媚だったけど眠くて船内は寝てた気がする。アジア側にも特に何もなかったので、さらに船に乗ってもとの旧市街のほうに戻った。で、とりあえず宿に戻ってからネカフェに行ったら、太郎がどこからかガラタ塔にトルコ人専用の風俗店があるという情報を見つけ出したので、夜に行ってみることに。けど残念ながら見つからず。しかもイスタンブールは夜意外なほど人通りが少なく、道も暗くて怖かったので、結構早々に宿戻った。すると俺らで占領したと思い込んでいた部屋にアメリカ人が居たので、ちょっとビビる。でもすさまじくナイスガイだったので、特に問題なかったけどね。残念ながら俺らは英語あんまり喋れないから大して絡まなかったけど。


3/10
この日はとりあえず昨日行かなかったアヤソフィアとスルタン・アフメッド・ジャーミィへ。が、ブルーモスクの方は時間が悪くて開いておらず、とりあえずアヤ・ソフィアへ。ゴシックの重厚な建築で、建築自体にそんなに美しさは感じないんだけど、その後のトルコスタイルのモスクがこのローマン建築を模して造られるようになったってことはたぶん素晴らしさがあるんだろう。で、有名な天井のマリアの絵ですが、なかなか良かったです。なんというか「マリア様が見てる」な感じで。で、1時間ぐらいで観終わって出て来たら雨が降ってる。しかもかなり強く降りだしてしまった。すると太郎が宿帰るとか言い出して、柴田も帰りだしたので、仕方ないので一人でブラブラすることに。でも残念ながら俺も旅に疲れてたのか、それほどイスタンブールに魅力を感じていなかったせいか、観光したくはあったんだけど、めんどくさくて結局宿に戻ってしまった。戻ると太郎がひたすらiPodのゲームやってて、何しに来たんだと何故かちょっとイラっとした。でもどうしようもないので寝ることに。ひたすら寝てましたね。で、晩飯時には雨は止んでたので、またロカンタで食ったんだけど、なんかロカンタで似たような料理を食いすぎたせいか、飽きてきてあんま美味く感じなくなってた。で、せっかくなので夜遊びしようと新市街に繰り出したんだけど、別に飲んでもいなかったので、大してテンションもあがらず、前日にトルコの夜遊びは危ない的なことを聴いてたので、結局ブラブラしただけで宿に戻ってしまった。キルギスの前例が今思うと凄いおもしろかっただけに、行っとけば良かったと後悔しますね。そんなこんなで、歩き疲れて宿に戻り、ついに実質残りあと1日。


3/11
実質最終日。朝宿の姉ちゃんに金払おうとすると、何故かこの日はお姉さんの化粧がバッチリだった。で、金をこっちで計算して払うと「パーフェクト」と言われ、何かいい気分に。部屋に戻ると相部屋のお兄さんが相変わらず「ハイ、ガイズ!」と爽やかに迎えてくれる。このころ旅行ずれしてたせいか、結構排他的になってたけど、今思うと宿の皆さんは結構いい人たちだった。で、昨日いけなかったブルーモスクへ。アヤソフィアは博物館だけど、こっちは実用のモスクなので特に中には何もない。モスクもいい加減飽きてきた感じがあったのでさっさと観光終了。そしてトプカプ宮殿。残念ながら特に印象に残ってないんだけど、展示してあった世界で3番目ぐらいにデカいダイヤはすごかった気がする。俺と太郎は結構展示品が面白くて見入ってたんだけど、柴ちゃんは一瞬で飽きてて一人さっさと外に出てたのがワロタ。でもなんかトルコはやはりミーハーの来るところなので、日本人のリア充集団とか中国人集団とかが多くて、その頃俺らが旅に疲れて汚らしくなってたこともあり、萎えたところがあったかも。ハーレムもみたけどそんなに大したことなかったかな。やっぱりペトラとかクラック・デ・シュバリエとかの方が良かった。で、そのあとバザールに行ってなかったので、エジプシャンバザールとグランド・バザールへ。そろそろお土産モードだったので、お菓子とかコーヒーとかを適当に買った。グランドバザールは確かに広かったんだけど、売ってるものが土産物ばっかで微妙だったかな。相変わらず中国製のパチ物が多かったし。まぁこれはアジア圏どこでも同じだが。で、せっかくなのでハマム(トルコ風呂)にも行ってみた。だがしかし、日本のトルコ風呂とは違って、本物のハマムは太った裸のおじさんに全身イモ洗いされる、ホモに片足突っ込む場だった。気持ちよかったけどね。でも日本のトルコ風呂の方が気持ちいいお。で、最後なので奮発してベリーダンスも観てみた。が、残念ながらおっさん観光客向けの、ディナーショーみたいな感じで、若者が楽しむもんでもなかったかも。お姉さんの腰の動きはすごかったけど。というわけで、トルコはあまり勇気を出さなかったせいで無難に過ごしてしまいましたね。まぁ多少旅疲れしてた感もあるけど。今思うともっとハッスルしとけば良かったなぁ。そんなこんなで宿に戻って荷物を出し、いよいよ空港へ。有金は全部使ってたので、空港までのタクシー代が足りなかったんだけど、運ちゃんのおじさんは降りたときに足りないといったらまけてくれた。夜中なのに悪いことしたけど、最後にいい人に会えて良かった。この日はイスタンブールの空港で一夜を明かした。


3/12
早朝出発。会話なし。どぼんしたがる柴ちゃん。オランダヒマすぎ。汚い俺ら。
早朝アタ・テュルク国際空港を出発。みんな疲れていたのか飛行機の中は会話もなくひたすら寝てた気がする。オランダで待ち時間がかなりあって、俺としては降りて大麻吸ってくるぐらいしたかったんだけど、さすがにそこまでの時間はないのであきらめた。結局特にすることもないのでずっとベンチに座ってたね。柴ちゃんはどぼんしたがってたけど。で、オランダはヨーロッパなのでスイーツ日本人がいっぱい居たわけだけど、そういう奴らと一緒に帰ることになると自分たちの格好の汚さが目だって多少いやな感じがした。まぁ旅の勲章だけどね。で、待ち疲れたところで日本へ出発。


3/13
昼頃成田着。シルクロードに行ったとき帰国してすぐ寿司食ったらゲロ美味かった記憶があったので今回も行こうかと思ってたんだけど、今回は両替だけしてあっさり解散。まぁ最後のほうちょっとダレてたかもね。でも面白かったな中東。特にダハブからヨルダンにかけては自然が色々あっておもしろかった。ベスト3を上げるなら、1位ワディ・ラム(ヨルダン)、2位死海&ハママート・マイン(ヨルダン)、3位ピラミッドって感じですかね。ペトラとかクラック・デ・シュバリエとかカシオン山とかも面白かったけど。ヨルダンとかは大人になって行っても楽しい場所だと思うので、もう一回行きたい。これを書いてる時点でもう旅行からは1年近く経ってるんですが、やっぱり旅行はプライスレスだね。もっと行きたいな。やっぱり自然が好きだから、ネパールとかモンゴルとかボリビアとか行きたい。社会人ファック。