08年夏シルクロード旅行記

そろそろ時効な気がしてきたので人知れずup。
というかweb上に保存。
まぁ超絶長いから誰も全部なんか読まないよなw
同行者の名前は便宜上T君としておきますw




◎8/21

この日は飛行機で移動しただけ。使ったのはアシアナ航空。飛行機の設備はクソだった(テレビ無し)けど、スッチーは美人だったよ。日本は朝鮮人嫌いな人が多いが、俺は別に嫌いじゃない。むしろ日本に居る韓国人とか基本いい人過ぎるひとばっかだ。コリアン美女も大好きです。しかし気に食わないのは、飛行機の現在地とかが表示されている地図にバッチリ「Dokdo」とか「East Sea」とか表示されてたところ。East Seaはともかく、独島はどうでもいいだろ!日本の航空会社じゃそんなちっさい島表示してないし。というわけで、やっぱり航空会社というのは国策に則っているんだと認識することができた。途中韓国に下りてトランジットして、ウズベキスタンの首都タシケントに到着したのは現地時間午後9時ごろ。タシケント空港は真っ暗だし、警官がいっぱい居るのでなんか怖い。そして入国審査の遅さがうんこみたいだった。旧ソ連圏はどこもそうらしいけど。荷物が出てくるのにもものすごい時間がかかる。馬鹿でかい車の部品かなんかを飛行機で持ち込んでる人が居たりするせいか?税関に有金全て申告しなきゃならないとかいう意味分かんない制度もあり、空港出たのは11時すぎだったろうか?空港を出るとタクシーの運ちゃんが待ち構えている。タクシーといってもこの国にはメータータクシーなんかない。というかタクシーの表示してる車すらまれ。しかもタクシーの表示してるからって別にそれがタクシー免許を持ってるとかいうわけでもないっぽい。要するに暇で車持っている人が適当にタクシーをやっているのだ。集まってくる中から一人を選んで乗車。たぶんソ連製の車でクソぼろかった気がする。片言だけど英語が通じてよかった。というかウズベキスタンは英語通じました。この頃はまだこの国にビビッてたので、道が真っ暗でそこら中にガレキの山があるのを見て大丈夫なのかと若干不安だった。運ちゃんの勧誘を断ってたどり着いたホテルもなんか暗いし、水すら売ってない感じだったので、凄い腹へってのど渇いてたけどそのまま就寝。




◎8/22

朝起きると昨日とは打って変わって明るい雰囲気に。実は水売ってたし。ぐずぐずしててもしょうがないので朝飯を食ってさっさと出かけることにした。しかし朝飯は予想通りあんまうまくなく、先の食事が思いやられる感じだった。飯を食い終わってホテルの中庭に出るとでかいレーニン胸像があることに気づく。初めて本物見たけどレーニンはカッコイイね。毛ちゃんよりよっぽどカッコいいよ。とりあえず両替しようと思い近くの高級ホテルへ。両替は9時からだと言ってたのに9時15分ぐらいまでは両替所開かなかった。ここらへんが旧ソ連クオリティなのだろう。両替を終えて地下鉄でバスターミナルに移動。地下鉄にも馬鹿みたいにたくさん警官が居たけど、特に絡まれなかったので安心。ターミナルにたどり着いてバスの値段交渉してると日本人が居た。これぞパッカーって感じの20台後半のお兄さん。別にいい人なんだけどブルジョアパッカーの俺らとは噛合わない感じだった。そんでバスに乗って移動。隣の席のウズベク兄ちゃんがやたら話しかけてきた。フィアンセが日本語勉強してるから電話で話してくれ、とか、俺んちに来いとか超親切でした。俺が日本人だというと、「おしんおしん、ジュモンジュモン」とやたら話しかけてくる。おしんはもちろんあのおしん。ジュモンってのはウズベキスタンで人気の韓国ドラマらしく、テレビで見た感じ登場人物の髭が俺らの髭に似ていたっぽい。そのせいかウズベキスタンに居る間中ずっと僕らはジュモンジュモン言われてました。そうこうする内に5時間ぐらいでサマルカンドに到着。最初ケチって街まで徒歩で行こうとしたが、暑くて疲れたので結局タクシー使った。で、たどり着いたのがレギスタン広場。確かに凄かったが、俺的にはもっとでかいのかと思ってたね。中が土産屋になってたのが惜しまれる。なぜか日本語ペラペラのお兄ちゃんとかも居ました。そんで宿へ。有名なバックパッカー宿的なところにいったらさっきの日本人のお兄さんが居た。当然のごとくあんま絡まなかったけど。その夜は晩飯食いに出かけて、色々ぶらついてみることに。飯は美味かったけど脂っこかった。しかしこの国は歩いてると子どもたちがハローと笑いかけてくるのでとってもほのぼのしたよ。そんな感じで気分よく歩いてると、道端で結婚パーティーらしきものをやっていたので覗いてみることに。するといきなりオッサンが出てきて俺らの手を引っ張って強引に連れて行こうとする。中ではちょうど披露宴の真っ最中で、みんなで踊ってるところだった。まぁ空気読まないのも難なので、一応踊ると金くれたw さらに座らされてウォッカを飲めと言われ、飯もよそってくれたw その場に居たおじさんの娘さんらしき方々は若干あきれてたけどおじさんはノリノリ。ノリの悪い俺だがせっかくなのでウォッカを二杯ぐらい一気したら若干酔ってしまったよ。そしたらすぐおじさんは帰るというので俺らも帰ることに。さすがにちょっと居づらかった。でもこの国の人の良さを垣間見ることができて素晴らしかったね。酔っ払っていい気分のまま宿に帰りると何か頭よさそうな日本人が居る。酔っ払ってたのでそいつと多少楽しく話し、その日は就寝。




◎8/23

この日は一日サマルカンド観光。なんとかモスクやらなんとか廟やら名前は忘れちゃったけどどこも立派だった。しかし、朝歩いてるといきなり腹がギュルルと鳴りだし下痢発症!そのあとは常にトイレを念頭に入れて行動せざるを得なくなってしまったよ。バザールの中でウンコしたくなったときはマジ必死だった。しょうがないので昼飯はあんま食わずに観光。俺的には住宅地に入ってみたときに子どもがいっぱい居て、凄いフレンドリーに寄ってきたのが何よりも楽しかった。写真撮るだけで喜んでくれたし。子どもってほんと最高だ。帰ると日本人がさらに増えてて、その会話の盗み聞きから昨日の頭良さそうな日本人が東大→マッキンゼーの超勝ち組であることを知った。東大にコンプレックスを感じる俺とT君は悔しがってましたとさ。しょうがないのでその晩も出かけることに。昼間にネットして仕入れた情報を元に、サウナに行くことになった。なんでもこっちでエロい事をする場所はサウナらしいという情報をT君が掴んだのだ!俺は正直怖かったけど、T君がやたら行く気なのでビビりながらも着いて行くことにした。そしてタクシーの運ちゃんに頼んで着いたのが謎の建物。何故か鍵が閉まっていた。怪しすぎた!あけてもらって入るとラブホのような雰囲気。俺らは妄想に夢と股間を膨らませた!で入浴料とマッサージ代を払ってサウナが開くのを待つ。ドキドキする俺ら。しかし先にマッサージから出てきたT君が残念そうな顔をしている。要は全然普通のマッサージでしたと。俺は逆に若干安心しつつマッサージ受けてみると、デブのおばちゃんにやたらモミモミされるだけで、あんま気持ちよくなかった。そのあとサウナが開いたけどもちろん普通のサウナ。ブルジョワT君は落胆してサウナに入りすらしなかったが、俺は独りでのんびり入らせていただきました。T君残念!そんなこんなで帰って就寝。




◎8/24

この日はブハラに列車で移動。昼前に駅に行くと、可愛い日本人の女の子二人組がいた。旅の出会いに胸の高鳴った俺だったが、あとで打ちのめされることになるとはこのときは思いもよらなかった。二人は姉妹で、乗り物だけ予約して旅をしてたらしい。車輌が違ったので列車乗ったところでひとまずお別れ。列車はとても快適だった。俺の隣はウズベクボーイだったんだけど、列車の中で放送してた映画にエロいシーンが結構いっぱいあって、それをよだれを垂らさんばかりに注視している姿が印象的だった。そんなこんなであっさりブハラに。とりあえず乗り合いタクシーで街の中心まで行って宿を探して歩いてると、現地のオバサンが宿を探してやるからついてこいというので、無用心な俺らはあっさりついてった。で、たどり着いたのが看板のない宿。どうも怪しかったが部屋は綺麗で客が俺らしかいなかったのでこの宿に泊ることに。しかしそのあとネットカフェに行ってその宿がやばいことを知った。ウズベキスタン旧ソ連のクソい制度が残ってて、宿に泊まるときに滞在登録なるものをしないといけない。滞在登録できない闇宿的なところに泊ってしまうと、警察にパスポートチェックされたときにバレて国外退去になってしまうかもしれないのだ。で、ネット情報によるとその宿は滞在登録するのに必要な税金払ってないらしく、以前警察にパクられたそうだった。チキンの俺らはかなりビビったが、ブハラはクソ暑くてこれから宿探すのも面倒だったので結局そこに泊ることに。その宿の情報ノートは警察にパクられた時期だけバッチリ書き込みが抜けてたので、この宿が闇宿であることは確実だった。でもオバサンはやたらいい人なので今更出て行くのも気まずい雰囲気だったし、まぁいいかって感じで泊ってしまいました。その宿で晩飯を頼んだところものすごい量が出てきてビビる。しかもメロンが皿にどっさり。客が俺ら以外いなくてどうも残しがたい雰囲気だったので、残さず食べてしまったところ、腹に直撃してしまった。もうにっちもさっちもいかなかったので、T君が入浴中にユニットバスでウンコ。相方がT君で良かったわ。ハエが五月蝿かったけどこの日は腹が死んでたのですぐ就寝。




◎8/25

この日は一日ブハラ観光。でも正直一日もいらなかった。つうか暑すぎてかなり体力消耗しました。普通に気温40℃超えてたし。確かにモスクとかマドラサとかは凄いんだけど、この頃からもうすでに若干飽き始めていた気がする。てか俺はそんなに飽きてなかったけどT君は飽きてたっぽい。まぁモスクとか以外に何もないからねぇ。でも一応一通り周ってお城ではちゃんと警官に賄賂払って景色のいい進入禁止ゾーンに入れてもらったりしました。確かに景色綺麗でした。俺は観光中ずっと前述の姉妹に会えることを期待してたんだけど、意外と会えなくてどっと疲れた。早くも旅疲れしてきたのか、この頃はキルギスやめてトルコ行こうとか夢想しているような状況。で、一通り周ってしょうがないから飯を食おうとハウズ(ため池)の周りのチャイハネに行くと、昨日の姉妹がいる!よっしゃーと思い隣で飯を食い、そのあと飲みに行かないかと誘ってみたら、暇だったっぽくあっさり一緒飲みに行くことに。といっても大した飲み屋があるわけでもないので、そこら辺の店に。飲み物もウォッカとビールしかないので、弱小の俺らはあっさり酔っ払う。そして何気なく就職どこなんですかー?と聞いたら、あっさりGSとの返事が来ました。大学はもちろん東大。学歴コンプレックスを抱えるT君はもちろん、あんまりコンプレックスは抱えていないと思う俺でさえガン萎えでしたよ。そのあとは何を言われても見下されているように感じてしまうクソな俺ら二人の卑屈な会話が始まってしまい、飲みのテンションガン落ち。もともとテンション高くなかったけどw というわけで早々にお開きにして帰ホテル。姉妹とはまたヒヴァで会おう的な社交辞令をしたけど、もう会わないだろうなという予感がプンプンしており、実際そのとおりでした。しかし、その晩のT君のいびきはマジうるさかった。。




◎8/26

ブハラ→ヒヴァ。前の日に宿の怪しいおばさんに車の手配を頼んどいたんだけど、車が来るのがまじ遅く、2時間ぐらい待たされる。駐車場でもう一人乗せるのにさらに1時間ぐらい待たされたし。で、乗り込んできたのが誰かと思ったら、行きの飛行機同じのおじさんとお兄さんの間ぐらいの日本人だった。バハディール(サマルカンドの宿)にも居たんだけどあまり他の人と絡んでなかった個人主義の人で、旅行人チックな人が嫌いな俺らにはいい感じの人でした。ブハラからヒヴァへの道はガタガタの沙漠道。しかも道路に中央分離帯がないからみんな道路の真ん中走っており、どっちが先に避けるかのチキンレースみたいになってまじ怖かった。途中アムダリア川の浮橋を渡ったりしてヒヴァに。宿に着くなり運ちゃんにドア壊しただろとか言われてかなりだるかった。同乗のおじさんは俺らとは違う宿に行くとか言いつつ、結局俺らと同じ宿に泊ってたらしい。非社交的でナイスな人でした。で、ヒヴァはあっという間に回れそうだったのと、若干イスラム建築も飽きてた感があったので、その日は航空券を買いに行くことに。ガイドブックの地図があまりに適当で目印の公園が広すぎたため相当道に迷ったけど何とか買えた。でも航空券売り場にグラサン無くしてしまったのは痛かったね。前々日に懐中電灯無くしたのも痛かったけど。そのあと特にすることも無いので戻ってあっさり就寝。案の定GS姉妹には会うはずも無かった。




◎8/27

この日はヒヴァ観光。ヒヴァは城壁に囲まれた確かに風光明媚な町なんだけど、いかんせん狭い。しかも若干モスクとかマドラサとかにお腹いっぱいの俺らは個別の建物の入場料払うのもだるいので外でブラブラしてただけだった。金払ったのはミナレットぐらい。ミナレットは登って城壁の外側を見ると、遠くで緑が切れてそれより向こうは砂漠になっててオアシスな感じがして良かった。けど一番景色の良い窓のところに空気読めないウズベキスキーカップルがいて、いつまでたってもどかなかったのはまじだるかった。そんなこんなで2時間ぐらいでもうどこも見るところない状態に。ヒヴァはブハラとかに比べればだいぶ涼しかったんだけど、それでもやっぱ暑いから日陰にずっと座ってた。するとやたら結婚式をやってることに気づく。結婚式というか結婚式のあとの練り歩きみたいなもんか?5,6組いたね。さすがに今度は踊りには誘われなかったけど。外人観光客はおもっくそ結婚式の輪の中に入っていって花嫁とツーショットをとりまくってたが、それはそれで空気読めてなかった。あとは俺らと同じく暇そうにしてる日本人のお兄ちゃんがいたのでその人とダラダラ喋ってたり、英語喋れるウズベキスキー幼女がいたのでその子とダラダラ喋ったり。とりあえず暇でしたね。ウズベキスキー幼女とは一緒に写真とって送ってくれとか言われたけど、その子の住所書いたメモ帳を紛失したので無理でした。つうかメールアドレスとかないらしかったので、郵送はめんどくさいからそもそもしなかったであろう。僕薄情だからね。そんなこんなで時間潰してこの日はさっさと就寝。この国にいると眠れないとかはないからさっさと寝てしまった。この頃にはGS姉妹の存在とか忘れてました。




◎8/28

ヒヴァ→タシケント。朝空港に行ったら若干着くの早過ぎで結構待つことに。スペイン人かなんかの団体がいたが、オバサンはほとんどデブだった。まぁしょうがないんだろうけど。オバサンのデブ率が低いのって東洋人ぐらいじゃない?欧米人は確かに若いときは美人なんだけど、オバサンのあの姿を見ると日本人の方がいい気がしてくる。一方で欧米人のおじさんはカッコいい人多い気がする。この日空港に居た人はボン・ジョヴィみたいでマジやばかった。その団体にはウズベキスキーの美人おねいさんのガイドが着いてたんだけど、そのおじさんは完全にその美人ガイドさんを独占。確実に毎晩セクロスしてそうな雰囲気でした。そんなこんなで適当な荷物チェックをした後搭乗。こっちの飛行機は旧ソ連製でマジ怖いと聞いていたんだけど、確かに小さかったけど乗り心地は意外と快適だった。タシケントには1時間ちょっとであっさり着いたものの、荷物がなかなか出てこない。というか普通に飛行機から軽トラに移してそのまま持ってくるとかいう酷い輸送形態だった。結局荷物出てくるまでにさらに1時間ぐらい待つことになってイライラ。とりあえず宿を探そうということで、バックパッカー御用達のハドラというホテルまで行ったが、部屋に行くとベッドがぶっ壊れてて、宿のオバサンが直す途中ものすごい埃が出てるのをみて嫌になった。適当に他の部屋のドア開けたらスキンヘッドのオッサンが三人上裸で寝ててビビったのもあったけど。とりあえずセキュリティが怪しかったのでその宿はやめて他の宿に。もうひとつの宿は若干値段高かったけどかなり清潔だった。タシケントはまだ観光らしい観光をしてなかったので、とりあえずブロードウェイと呼ばれる一番栄えてるらしい場所に行ってみた。けど閑散としすぎで萎える。これで一番栄えてるとかどんだけだよって感じでした。歩いてると日本人っぽい女の子が居たので話しかけてみることに。案の定日本人で、日本に留学しているウズベキスタン人の家に遊びに来てたらしい。でもなんか誘われるままにウズベキスタンまで来ちゃったっぽく、かなりアホな人でした。その子も周りに居るウズベキスタン人の友達も全く可愛くなかったので俺はあんまり絡む気なかったけど、暇なのでここらへんに楽しいところはないかと聞くと、「あんまない。東京に帰りたい。」との言だったのでこの国はつまんないんだと悟る。結局そのままずっとブラブラしてクラブが開くのを待とうかと思ったけど、開く気配なかったので10時ぐらいには帰宅。女の子と別れたあとに話しかけてきたデリヘルおじさんに電話かけてみたけどショートで50ドルとかで別に安くないし、俺とT君の相部屋でデリヘルするとかいう破廉恥な事態はさすがに嫌だったので諦めてこの日もさっさと就寝。




◎8/29

この日も一日タシケント滞在。俺はさっさとフェルガナ盆地に行ってしまいたかったのだが、どうしてもT君がタシケントで女遊びがしたかったらしく、まぁ時間もあったので居ることに。けどやっぱすることなかった。とりあえずバザールに行ったけど、荷物増やしたくないから特に買うものもなくすぐ飽きる。そんで暇だから日本センターなるものに行ってみたんだけど、途中の地下鉄駅で警官の職務質問にあってマジだるかった。日本センターに行く前にもうすでに職質受けたのに、帰りにもまた同じ警官から職質受けたし。俺らは大して金持ってなかったので賄賂請求されたりはしなかったけど、結局パスポートチェックやら荷物チェックやらで20分ぐらい浪費した。荷物は何の問題もなかったんだけど、パスポートは例のブハラの闇宿の滞在登録がニセモノっぽかったので若干ドキドキしたね。大丈夫だったけど。日本センターは居心地良くてヒヴァで会ったお兄さんもいた。この国はあんますることがないから、旅行者の行動はどうしてもかぶってしまうらしい。日本センターのネットでエロいところを探そうと思ってた俺とT君だったが、周りが日本人なのでどうも探し辛かった。結局T君は探し当ててたけど。そんなこんなでダラダラ過ごし、晩飯はそろそろ中央アジア料理に飽きてきたので、コリアンジャパニーズ料理なるものを食ってみることに。実際韓国料理と日本料理の良いところが混ざってて、かなり美味かった。アレは日本でも通じる気がする。そんでその後日本センターで調べたエロいところに行ってみる事に。というかタクシーの運ちゃんにコリアンカラオケに連れてってくれと頼むだけだけど。一軒めは閉まってたので、二軒めにトライしついに発見!入り口では何故か日本語が通じるのと明らかに法律違反な雰囲気がするのとで胸が高鳴る!中に入るとロシアン美女いっぱい!ウヒョー!と思ったのも束の間、一人100ドル以上かかることが発覚して、そこまで金をかける気がなかったのであっさり断念。どうもそこは現地人が行くところではなく、出張にきた日本人やら韓国人やらが接待とか利用する店舗だったようだ。ロシアン美女がいっぱい居ただけに残念だったが、若干安心してその日は帰ホテル。もうウズベキスタンで女遊びをするのは諦め、さっさとキルギスに行くことにした。




◎8/30

この日はタシケントから一気にキルギスのオシュまで行ってしまった。フェルガナ盆地は危険地帯とのうわさがあっただけにさっさと突破してしまいたい気分もあったのかもしれない。朝タクシー乗り場に行くとあっという間に20人ぐらいのタクシーの運ちゃんに囲まれて、俺の車に乗れ的なことを言われる。凄いだるかったが、その中から一人のおっさんを選び出して乗車。もうすでにオバサンが2人車で待ってたので、すぐに出発できたのは良かった。しかし、そのオバサンが太い。後部座席に俺とT君とオバサンの一人の三人で座ってたんだけど、後部座席の半分以上がオバサンのビッグヒップで埋まってた気がする。しかしドライブは快適で、途中の峠越えの景色も素晴らしかった。けどコーカンドに着いたところで車を降りろとか言われる。何でも車を変えるらしい。しかし最初交渉したのがオシュまで二人で50ドルだったのに、ここまでで50ドルだとか言われて若干ムカつく。それまで仲良くしてたオバサンもそこでは助けてくれなかった。しかし、途中で何故か電話掛かってきたウズベキスキーの日本人好きの人が助けてくれて30ドルまでまかる。それでも損したけど。そこで車を乗り換えて一気に国境まで。途中の景色は綿花畑ばっかでそんなに面白くなかった気がする。キルギス軍人のウザい職質とかをクリアして国境を突破したが、キルギスに入国してもそこまで雰囲気は変わらなかった。ただ感じたのは人のクソさ。格別にクソというほどではないのだが、ウズベキスタンみたいに何もしないでも子どもが話しかけてくるみたいな状況ではなく、何となく歩いてる人が皆不満そうな顔をしてたのが印象的だった。オシュに着いたのは夕方だったが安宿は部屋が開いてなくて、部屋が開くのを待つことに。しかし夜まで待つと街全体がものすごい暗くなって不安に襲われる。ウズベキスタンに比べて女性が不細工なのも俺らのテンションを下げたっぽい。宿のオバサンもドドリアみたいで怖かったし。店も閉まってて水を買うことすらできなかった。ただ、宿には前にブハラからヒヴァに行く途中であった寡黙なお兄さんがいたので若干安心。したのも束の間、情報ノートを見るとこの街は危険的なことがいっぱい書いてあってビビった。外務省の危険情報も出てたし。T君と話し合った結果、特にこの街は何もなさそうなのでさっさと首都のビシュケクに行ってしまうことにした。その夜は蚊はいるわ、野良犬がほえててうるさいわ、外で焚き火しててダイオキシンでてそうだわであんまよく寝れなかった気がする。




◎8/31

この日はオシュからビシュケクに移動。途中の景色の良いところに泊るっていう手もあったんだけど、金が余計にかかるので一気に行ってしまうことにした。朝昨日街を歩いてるときに出くわした兄ちゃんにタクシーを手配してもらう。その兄ちゃんはロンドンの大学に留学してたとかで、やたら英語が堪能。だけど言ってることが汚い。基本ファックとシットばっか言ってました。何でもラストサムライみて日本が好きになったらしく、アメリカはファッキン国家だの、日本は侍魂を忘れてるだの言ってきたけどリアクション難しかったです。しかも25ぐらいかと思ったら年下だったし。外人は成長が早いな。で、タクシーすぐ発車してくれるとの事だったのに、やたら待たされる。何でも予約してた人が来ないらしい。兄ちゃんはシットシット言いまくってたが、結局現れず、同乗者を捕まえるのに2時間ぐらいかかった。同乗したのはキルギス人っぽい顔したお姉さん。同い年だった。ここらへんは女性は15歳ぐらいで結婚するとか聞いてたので既婚者かと思ったけど別に未婚でした。もう一人運転手を乗せてようやく出発。ただ車がアウディだったので走りは安定してた。ウズベキスタンはほぼダエウーとかいう韓国とウズベキスタンの合弁企業の車しかなくて、乗り心地が全くよくなかったんだよね。しかしここでも飛ばす飛ばす。平均時速140キロぐらい出てたんじゃないだろうか?ビシュケクまでは山→高原→山といった感じ。山の部分は日本では観れない岩山ばっかで先日にも増して凄い景色ばかりだった。4000メートル級の山がいくつも連なっており、通った道路も富士山より高いところ通ってたぽい。途中の湖が特に綺麗だったけど、止ってくれないので景色は楽しめず。そんで3時ぐらいに飯タイム。砂糖を入れてある皿に蜂が30匹ぐらい集まってて凄かったが、現地人は全く気にしていなかった。車の中では最初はお姉さんと運転手の弟と指差し会話帳とかで話してたんだけど、ぶっちゃけ英語無しじゃ他愛のない話しかできず、お互いの顔の部位を褒めあうとかいう意味分かんない会話に終始してしまった気がする。山ゾーンから高原に入ると道端にゲルがいっぱいあった。リアル遊牧民がいっぱい住んでるようで、牛や羊の群れがいっぱいあってそれも凄かった。道が羊の群れでいっぱいになって渋滞しちゃうなんで事も2,3回あったし。そんなこんなでスピードの出しすぎで途中ポリスに捕まりながらも10時間ぐらいでビシュケクに到着。さすがに疲れたのでさっさと目的の日本人宿に行ってみると、酔っ払いの汚いおっさんがいっぱいいて俺らが居たいような雰囲気ではなく、しかもベッドが空いてないとのことなので、急遽他の宿を探すことに。しかし、ガイドブックに載ってるホテルに行ってみようとしたら2軒とも閉まってる!外は真っ暗になっちゃうし、ホテルは見つからないしで途方にくれてしまった。しょうがないので白タクの兄ちゃんに遠くにあるもう一軒の日本人宿の場所を尋ねると、電話して連れてってくれることに。しかし、これまでウズベキスタンで親切な人々に囲まれてた俺らは甘ちゃんになっていたようで、値段交渉でものすごいボラれる。半分ブチ切れてる千原ジュニアみたいなキルギス人に対し俺的にはかなり粘り強く交渉したけど、結局かなり高い金を払わされてしまった。ファック。でもようやくたどり着いた日本人宿は外見では単なる団地だったが、居心地は凄い良かった。俺らと同じような境遇の学生とか世界を99カ国バイクで回ったとかいう凄いおばさんとか毎夜女を買いに旅立つおじさんとかとても刺激的な人ばっかでした。がんばって彼らと絡んでみるとかなり面白かった。聞いた話によると、旅行上級者の彼らでもやっぱアフリカだけはやばいらしい。何でも東洋人に対して差別意識を持っていて、ひどい場合だと道歩いてると石投げてきたりするそうな。皆さんアフリカだけは気をつけましょうね。というわけでやっと安住の地を得てその日は安らかに就寝。




◎9/1

この日は一日ビシュケク観光。昨日仲良くなった大学生二人とブラブラしてみた。仲良くなったつっても名前もあだ名も知らなかったけどねw まぁバザール行ったり日本センター行ってみたりしたんだが、特に何もなかったというのが正直なところ。前の日が独立記念日だったせいで日本センターは閉まってたし。そいつら曰くディスコとかもつまんなかったらしいので行かず。カジノもいっぱいあったんだけど閑散としてるのとあんまり金がないので行かずみたいな感じで、結局ビシュケクはあんま楽しめなかった気がする。ただオシュに比べて女の子は可愛かったのでそれほどテンション下がりもしなかった。気づいたのは可愛い可愛くないの基準は要はロシア系が多いか少ないかの問題であるということ。オシュはキルギス系が多かったせいで可愛くなかったんだろう。キルギス系は意味わかんないくらい日本人にそっくりであんまり好感が湧かないのだ。女性の美しさだったらやっぱロシアが最強だよ。T君は日本にロシア人を一杯連れてくればいいみたいなことをのたまわってたけど、それはまた別な話の気がする。しかもむこうの高校生だか大学生だかの制服がコスプレみたいのでそれがまた可愛い。日本でもあのコスプレ制服流行って欲しいよ。おっぱいを強調する感じだったからひんぬーの日本人にはあんま似合わないかもしれないけど。んで晩飯食いつつ若干飲んでちょっとネカフェによってさっさと帰宅。やっぱりビシュケクも治安がよくないっぽく夜は奴らもあんま出歩かないようだ。一人女買いに来たおじさんだけは別だったけど。そういやネカフェにいると、福田総理辞任のニュースが眼に入ってきた。安部総理辞任のときも中国で知ったんだよね。なんなんだろうね。で宿に帰って暇だったから置いてある各国のガイドブックを読んでみたけど、やっぱアフリカは厳しいようだった。南アフリカとか絶対車から降りちゃダメとか、移動はホテルから目的地まで完全に移動にしなきゃだめで街歩きとかはありえない的なことが書いてあったし。そんな国でW杯できるんでしょうかね?そんでインドのガイドブックを読むと凄い面白そうだったので行きたくなった。99カ国おばさんはモンゴルが一番らしいけどね。二番はブラジルだって。ブラジルも行きたいな。金無いけど。それ以上に時間が無いけどなぁ。




◎9/2

この日はビシュケクから登山基点の町・カラコルまで移動。昨日一緒に行動した大学生二人もオシュまで行くというので一緒にバス停まで行ったんだけど、バスの止まる場所が違ったせいもあったかもしれないが、いつの間にか別れててなんともいえない感じだった。ウズベキスタンの移動は大体タクシーで済ましたんだけど、キルギスはマルシュルートカというミニバスみたいのが発達しててそれを使って移動した。しかし席いっぱいに詰め込まれるので、隣のオバサンのケツがでかかったりするとかなり狭くなる。座席の位置的に窓の外もあまり見えなかったのであんまり面白くない移動になってしまった。カラコルという町はイシク・クリ湖の東の外れにある。イシク・クリ湖ってのは旧ソ連の要人がバカンスに利用してたリゾート地らしく、湖面に向こう岸の山脈が映ってかなり綺麗との評判だったが、あんまり天気が良くなかったので綺麗な景色は見れなかった。ちょっと嬉しかったのは、車の中で隣に座ってるお兄ちゃんの背中に頭乗っけてガン寝してたんだけど、そのお兄さんは全く気にせず俺の頭をずっと支えてくれてたこと。まぁぎゅうぎゅう詰めに慣れてりゃそんなこと気にしないのかな?俺は電車の中で男が露骨に寄りかかってくるのはあんま好きくないけどね。途中休憩を挟んで5時間ぐらいでカラコルに到着。同乗の英語が喋れるおじさんに町の中心を教えてもらって歩いて移動したが、遠くに見える山が高くて凄かった。宿を探して歩いてると日本人のオバサンが居たので、その人と一緒の宿に泊ることに。でもツインの部屋がなかったのでドミトリーに泊ることになった。今まであまりドミには泊ってなかったので、変な外人が来ないかとちょっと心配だったが、同室者は痩せたユダヤ人っぽいおじさんでとってもいい人だったのでよかった。カラコルは凄い小さい町だったが、それでもT君はサウナを探すとか言い出す。けどさっきのオバサンに食事に誘われたので諦めることに。この辺では俺はもう風俗行くことはないだろうと安心してた。飯食ってスーパーで明日の登山の食料を買って宿に帰るとおじさんはもう寝てたので俺らもさっさと寝ることに。昼マルシュの中でガン寝してた割にはさっさと寝れた。というか毎日10時間以上は確実に寝てましたね。




◎9/3

カラコルに来た目的はアルティン・アラシャンという山奥にある温泉に行くためだった。その目的を果たすべくこの日は登山。といってもジープで登れるぐらいの山なので大したことなかったよ。朝バザールに行って登山道の入り口行きのマルシュを探すがなかなか見つからず。1時間ぐらい探してようやく見つけて登攀開始。まぁ大した山道じゃないんだけど、調子に乗ったT君が前半飛ばして歩いてて若干だるかった。T君はあんなに虚弱にみえるのに意外と持久力あるからやっかいだ。しかも全然飯を食わずに動けるから俺より燃費がよっぽどいいよね。大地震とかが起きて食料がなくなったら、生き残るのは俺じゃなくてT君な気がする。そんな感じで前半はT君についていくのがやっとな感じだったんだけど、後半登りがきつくなるとさすがに俺のほうが速かった。モミの木に囲まれた川沿いの道を休憩を挟みつつ4時間ぐらい歩いて温泉宿到着!そこはまさに風の谷といった感じの素晴らしい景色で、遠くには雪を抱いた6000メートル級の山々が見え神々しかった。そんなところに羊の群れがいたりしたらもう気分はハイジだよ。思わず口笛吹いちゃったね。しかし、宿に向かって歩いてるといきなり雨が降り出す。それは宿に着いたころには雹に変わっていた。ビビりましたね。気温も下がりまくってクソ寒くなるし。1時間ぐらいで雹は止んだので、いよいよ待望の温泉へ。温泉といっても日本みたいに綺麗ではなく、掘っ立て小屋にコンクリート剥き出しの湯船があるだけの粗末なものなんだが、クソ寒かったせいかクソ気持ちよかった。人生で一番気持ちよかった温泉かもしれない。源泉かけ流しだしね。温度もぬるめだったけど蛇口開けたら温かくなったし。ゆっくり温まって、特にすることもないので晩飯まで睡眠。温泉宿というかほぼ山小屋だったけど、寝心地はそんなに悪くなかった。で、起きて晩飯をいただいたが、さらに寒くなっててやばかった。もしかしたら氷点下いってんじゃないかってぐらい。しかも電気がまったくないし曇ってるから本当に真っ暗闇。懐中電灯がないとトイレにも行けない状況だった。特に温泉の小屋は川の方に降りてくから、真っ暗で地面が濡れてるとこけそうで怖い。ブハラで懐中電灯をなくしてしまったのが本当に痛かった。仕方がないので温泉はあきらめて就寝。すでに4時間ぐらい寝てたので寝れないかと思ったけど、あっさり眠りに落ちる。もし晴れたら絶対星が綺麗だと思って午前2時ぐらいにアラームかけて外に出てみたんだけど、暗くて星は見えなかったのは残念だった。




◎9/4

結局12時間ぐらい寝て起きたら9時ぐらいだった。昨日の晩飯の前にも寝たから15時間ぐらい寝ただろうか。しかしこの日は前日とは打って変わって天気も良く、朝風呂は最高だった。朝は空気が澄んでて景色も最高だったし、下り道も快調で、ものすごい爽やかだったね。人生で一番爽やかだったかもしれない。10時半ぐらいに出発したが、快調に飛ばして2時ぐらいにはカラコル到着。そこからイシク・クリ湖最大の町らしいチョルポン・アタに移動。車がオデッセイで快適だった。しかし、チョルポン・アタに着くと天気が悪い。せっかくの湖畔の風景も全く見えず、宿を探すのも結構めんどくさかったので、若干テンソン下がり気味。キルギス最大の保養地と聞いていたわりにチョルポン・アタは寂れまくってて特にすることナッシングだった。仕方がないので食事。ウズベキスタンと違ってキルギスはレストランにメニューがあるから注文しやすいのだが、ロシア語が読めるわけもないので何が出てくるかは神のみぞ知る状態になる。この日出てきたのはやたら脂っこい羊とピーマンともやし炒めものみたいの。こっちの油は腹壊す可能性大なのだが、バッチリ壊しましたよ。その後特にすることもないのでどうしようかと考えていると、またもやT君がサウナに行きたいと言い出す。タクシーの運ちゃんに頼むと謎のホテルへ。今度もやっぱり普通のサウナだったから入らず。もうそろそろ僕はうんざりしてきてましたけどね。雨振りそうだったのでさっさと宿に帰って寝ることに。日本人の一人旅している同い年の奴が居たが、デブの男で特に話したくもなかったので、話しかけてきたけどぞんざいに扱ってしまったよ。結局排他的な俺らであった。




◎9/5

朝起きると案の定雨が降ってた。何よりも最悪なのは干しっぱにしてた洗濯物が全部びしょ濡れになってしまったこと。前日にパンツとシャツ一組だけは確保していたんだが正解だったわ。この天気じゃ湖畔からの絶景とやらも観れそうになかったので、もったいなかったけどさっさと帰ることに。マルシュは結構すぐ発車したので良かった。帰り道なので特に面白いこともなかったけど、乗客にドン・コルレオーネみたいのがいて怖かったわ。3時間ほどでビシュケクに着き、とりあえず宿を探すことに。前行った日本人宿の南旅館でも良かったんだけど、街の中心から遠くてあまり立地条件が良くなかったので、ザブルベク邸というところに行ってみた。南旅館も単なる団地の一室に過ぎなかったんだけど、ここも単なる一軒家だった。ただ出てきたおねいさんが美人だったのでここで確定。個室もあったし。結局俺らはドミが嫌だったようだ。この宿は面白くて、宿というか単純にザブルベクさんの家。俺らが泊った部屋は寝室っぽく、タンスの中にはザブルベクさんの私物らしき服が詰まってた。快適だったけどシャワーが冷たかったのが難だったかな。この日もサウナ行くとかT君が言い出したので、ガイドブックの地図に載ってたサウナに行ってみる。けどやっぱり普通のサウナでした。ここは健康ランドみたいな感じだったけど、リアルサウナは暑すぎてヤバかった。1分も入ってられない感じ。現地人もあんまりサウナには入らず身体洗ってるだけだったし。ここで妙に安心したのがキルギス人のティムポが予想外に小さかったこと。むしろT君のホワイトスネイクの方が中2のときにイタツがトイレでみて驚愕してただけあってデカいぐらい。まぁそんなところまで日本人に似てるって事ですかね?T君は早々に出てったけど俺はばっちりサウナで汗だく→水風呂バッシャンを3回繰り返したから凄い気持ちよかった。けどなんか心臓がビックリしてクラクラしてしまったよ。そのあとブラブラしてデパートらしきところに行ったんだけど、首都の一番でかいデパートみたいなところでもニセモノしか売ってないのにはビビった。とりあえずドルガバばっか。ノースフェイスとかコロンビアすらニセモノだったよ。だって値段安すぎるんだもん。ニセモノショッピングは普通楽しいはずなんだけど、この国は完全にニセモノしかなかったので、本物と比較することもできず買い物をする気がそがれるだけだったのは残念だった。この日はそれ以上特にすることもなくさっさと寝る。つうかさっさと寝てばっか。




◎9/6

この日はアルティン・アラシャンがあまりに良かったので、他の山的なとこにも行ってみたくなり、アラ・アルチャ自然公園というところに行くことに。しかし、朝バザールに行ってはみたものの、どうやらガイドブックのマルシュ番号が間違ってたらしく公園行きのマルシュが見つからない。タクシーに頼むのも値段交渉がだるそうだったので、結局この日はあきらめることにした。仕方がないのでお土産でも買おうとブラブラ。ソ連軍放出物のミリタリージャケットがカッコよくて買いたかったが、サイズがデカ過ぎて断念。その他には特に買いたいものもみつからなかったので、結局街をブラブラしただけでした。首都といっても大して大きな街でもないので若干飽きた感はあったね。レーニン像はよかったけど。ネットカフェにちょっと寄って旅行会社に翌日の車の手配を頼んだらもうすることもなくなってしまったので、さっさと帰ザブルベク邸。しかし、帰るとすぐまたT君がサウナ行きたいとか言い出す。どうやらネットカフェで確信情報を掴んだらしい。そこでまたタクシー停めてサウナに行きたいと頼んだが、着いたのはまた普通のサウナ。俺は大してエロサウナに行きたいわけでもなく、T君のサウナ熱に若干辟易としてた感があったのだが、それでもT君は止まらない。というわけでついにタクシーの運ちゃんに「売春したい」と頼みだす。そしてついにエロサウナらしきところの前に。女の子がいる!一人は可愛くて一人はおばさんな感じだったので、争奪戦がやばそうだったが、とりあえず一緒に近場のサウナに行くことに。そしてサウナに着くと「酒飲むか」的なことを言ってくるが、二人とも弱いし普通にこれからサウナに入るものと思ってたので飲まないと言ったら向こうのテンションが下がる。さらに金を請求されたのでビジネスライクな感じに若干萎えた。なんか変だなーと思っていると、ダブルベッドがあるだけの部屋に連れてかれ、ここで服脱げと言われる。で、服脱いで腰巻一丁になって部屋出ると、シャワー浴びろと言ってくる。俺はサウナで楽しくエッチな遊びでもするのかと思っていただけに、かなりヒヨった。しかしとりあえずT君より先にシャワーを浴びると、どっちか選べというので、当然若くて可愛い方を選んだw その前はT君がそっちを選ぶ的な合意をしてた気がしたけど、僕はあっさり裏切りましたよw 若干テンションあがったけど、部屋に入るどうも寒い。女の子の裸もヘソピアスのせいかそんなに美しく感じなかった。スタイルは良かったのだが。とりあえず腰巻とって寝ろと言われる。そんで言われるままに寝ると、いきなりチュパチュパしてきてパイズリ→ゴムフェラなコース。しかしあんまり気持ちよくない。特にゴムフェラとか全く気持ちよくなかった。それでも半勃ちぐらいになるとやおらケツを俺のほうに向けてきた入れろと言ってくる。えっ?と思ったが、普通に濡れまくっててむしろ萎える。まぁとりあえず入れるだけ入れたけど全然硬くならず。むしろどんどん息子は小さくなってしまいました。ぶっちゃけ腰振るのも面倒だったので、騎乗位でやってくれと頼んだけどやっぱりダメ。もうインポでしたよ。。その後も相手はゴムフェラを続けて何とか起たせようとしたのだが、いかんせん気持ちよくなく、もういいから手で抜いてくれ的なことを頼んでも相手の手が冷たくて全く気持ちよくない。ゴムフェラは気持ちよくないからゴム無しでやってくれと頼んでも、それは無理との回答。もうどうしようもないと気づいたので、やめて話すことに。話も大して盛り上がらず、結局相手は19歳で将来とか何も考えてないって事ぐらいしか分からなかった。まぁそんなこと聞く俺がアフォなんだけどね。で、早くも話すことなくなりかけると、もう時間だと言ってくる。別に未練はなかったのでそこで終了。奴らは二人でさっさと帰っちまいました。どうやらT君も俺と同じ状況だったらしく、起たなかったT君はおばさんに自分のテクを試した挙句一蹴されたらしいw まぁテクを試そうとするだけ俺よりマシだよね。とりあえず二人ともあまりに不毛だったのでテンションガン落ちしてさっさと帰った。ザブルベク邸に帰る途中、真っ暗な道を歩いてると三人組の男がずっと着いてきててこの旅一番の恐怖を感じたが、同じザブルベク邸の住人で助かった。でもどうも気分が悪かったので、酒買ってきて飲むことに。ちょっと遠くのスーパーまで行ってウォッカグレープフルーツジュースとポテチを買って帰った。さっきの事もあって夜で歩くのは怖かったけど、意外と大丈夫だったね。そんでT君と飲んだが、何話したかあんま覚えてないw つうかウォッカが安すぎただけあって質が最悪で、下戸の二人は一瞬で泥酔。二人とも吐いてましたw そんなこんなで気分悪いまま就寝。吐いたせいで胃が相当荒れたらしく、夜中何度も眼が覚めてさらに気分が悪かった。




◎9/7

この日はアラ・アルチャ自然公園に。昨日のウォッカのせいで朝起きると胃が荒れててかなり気分が悪かったけど、ダラダラしてても仕方ないので行ってみた。でもこの公園かなり凄かったです。俺的にはアルティン・アラシャンよりも良かったね。最初は公園内をダラダラ歩いてて確かに氷河らしきものが見えたんだけど、まぁこんなもんかって感じだった。でも公園まで来るのに車代を結構払ったので、それだけで帰るのももったいないと思い、山の方に行ってみたんだよ。最初はどこまで行けるんだか良く分からなくて大した山じゃないんだろうと思ってたんだけど、全然大した山でした。上の方まで行くと、そこはもうガチ登山の格好した人しかいなくて、スニーカーにショートソックスの俺にはかなり危険な感じだった。登りもきつかったし、上の方はガレまくってててすべりまくった。足を踏み外したら千尋の谷って感じのところをずっと歩いてたので、かなり危険だったと思う。T君は途中であきらめて帰っちゃったんだけど、俺は峠の向こうが見たかったのでがんばって登ってみました。かなり高度があった(おそらく3000m以上)のと、水も食料も持ってなかったので相当体力を消耗してマジ辛かったけど、それでも俺の脚は止まらなかったよ。何としても峠の向こうが見たかった。こんな想いをしたのは久方ぶりだったね。山に登るのに理由なんか要らない。山があってそこに自分が居るからだ。そんな気分でした。喉が渇きすぎてそこらを流れてる雪解け水を手ですくって飲んだりしながらも、がんばって登り続けると、いきなり山ヤギ登場!ガレ場を華麗に駆け抜けてて凄かった。そんな幻想的な景色に励まされ、喘ぎながらもなんとか峠の上にたどり着く。そこからの景色はもう神々の山嶺って感じ。今までの登りでヒーコラしてた俺をあざ笑うかのごとく、更なる高山が聳え立っていた。さすがにそこから先は装備的にも時間的にも体力的にも無理だったので、しぶしぶ断念。でも氷河が本当に間近にあったし、日本では絶対に観れない凄い景色を観れたので、登って良かったと心から思ったよ。そんで峠の上でちょっと休憩して下りに。だがその下りがさらに危険だった。靴が普通のスニーカーでつるつるすべるので何度もこけて手のひらは傷だらけになっちゃったし、足元ばっか見てたら道が分からなくなって遭難しそうにもなったしかなり危険だったわ。それでも何とか降り切って車に戻るとT君は車の中で無用心にグーグー寝てやがった。でも、T君が惰眠を貪っている間に俺はあの凄い景色を観ていたのかと思うとなんか気分よかったね。T君もがんばって行けばよかったのに。そこからビシュケクに戻って最後に中央アジア料理を食べて、スーパーでちょっとしたお土産買って、この日もザブルベク邸でさっさと就寝。キルギス入ってからは凄い日が経つのが早くて、あっという間の1週間だった。まぁキルギスの方が俺は楽しかったかな。前日の売春も含め色々経験できたし。




◎9/8

最終日。とりあえずビシュケクで行ってないのは郊外にあるドルトイバザールってところぐらいだったので最後に行ってみることにした。そこは衣料品中心バザールで、コンテナがそのまま店になってて不思議な感じで面白かった。しかし、本当にこの国はニセモノしか売ってない。てか本物あってもアレだけニセモノがあったらとても信じられないよ。もう本当に全部ニセモノって感じ。ちなみになぜかY−3のニセモノが大人気でした。ここのバザールでこの旅で初めて中央アジアの代表料理であるプロフ(ピラフみたいの)を食ったんだが、馬鹿ウマだった。それまでプロフ食わずにラグマン(ぶっかけうどん。脂っこい)とかマントゥ(羊の肉まん)とかばっか食ってた俺らはアフォだった。中央アジアに行ったら飯はプロフとサムサ(ミートパイみたいの)がお勧めです。しかし旅行中俺は髭を一回も剃らなかったので、この頃はもうかなり汚い感じになってしまっていた。そのせいかバザール歩いてるとポリスに捕まる捕まる。1度目に捕まってパスポートチェックと荷物チェックを受けた10分後ぐらいにまたポリスに捕まったりしてまじだるかった。ポリスチェックにうんざりしてきたのと、ニセモノしかなくて特に買いたいものもなかったのもあり、さっさとザブルベク邸に帰って、荷造りし一気に空港へ。早く着いたのは良かったけど免税とかは極めてしょぼいくてかなり暇だった。とりあえずウズベクまで小さい飛行機で行ってトランジットだったんだけど、このときの機内食が凄かった。フランクフルトみたいなサラミが丸まる一本とトマトが丸々一個、それに硬くてまずいパンにて終了というかつて見たことのない機内食だった。サラミは美味かったんだけど、全部食ってるの俺らぐらいだったしw 1時間半ほどで久々にタシケントに到着したが、またそこでさらに3時間ぐらい待たされる。しかし乗り継ぎに色々な人種がいて結構面白かった。インド人がいっぱい居たんだけど、やっぱりインド人てのは唯我独尊的な雰囲気を醸し出していて興味をそそられたね。そんなこんなでアシアナ航空にチェックイン。帰りの旅路はとても短かった。




◎9/9

帰宅日。朝に韓国に着いて、また乗り換え。韓国もちょっと寄ってきたかったね。あっという間に日本に着いて、旅が終わった。横浜で写真をコピーして寿司食ってT君ともお別れ。総括するとすごい楽しかったです。特にキルギスの山は良かった。ウズベキスタン人のフレンドリーさも良かったし、モスクとかも実際凄かった。ただ、ウズベキスタンは昼間暑すぎなのと、街が健全すぎて男二人組にとってはいまひとつ楽しみに欠けること、キルギスは夜が真っ暗すぎて怖いこと、あと人がイマイチなのとやっぱり遊ぶ場所がないのが微妙だったかな。どっちもポリスウザいし。どっちかというとおっさんになってから来ると楽しい場所かもね。もう一回行くかと言われると、まぁもう行かなくてもいい気もするけど、行ってよかったとは心から思います。この旅を経験したことでアフリカ以外ならどこでも行けるような気がしてきたし。とにかく日本では経験できないことが色々経験できた。記憶はどんどん薄れていっちゃうけど、思い出はプライスレスだよね。冬も最後にインドかブラジルにでも行ってプライスレスな経験したいと思います。