第八百三十五回:魂をこめろ!

・「中州気持ちE!」とかばっか言ってるとただの変態のアホに思われそうなので(もう思われてるかもしれないが)、たまには魂をこめて熱いことを書こう。



・僕は小学生からピアノを始めた。
習ったことある人は知っているだろうが、ピアノには定番学習コースみたいのがあり、一般的にバイエル → チェルニーソナチネソナタ(ベートーベンが多い)というような感じで楽譜がランクアップしていく。
そこで求められることは正しい指使いで楽譜通りに弾くことであり、楽譜通り弾くことが正解だ。
言われたとおりにやるのが得意な子どもならそれも素直に吸収して上手になっていくのかもしれないが、残念ながら俺は子どものころから人の言うことを素直に聞かないひねくれた子どもだった。
すると当然つまらないので、僕は小3ぐらいからは週に30分ぐらいしか練習せず、何が楽しくてやってるのかわからない状況だった。
僕は割と粘り強いのでそれでも小6までは習い続けたが、そこで終了。
そのあとは大学に入ってから再び触るまで一切ピアノには触れなかった。
大学1年のときにヒマすぎてまた始めてたんだけど、最初はサイモン&ガーファンクルかなんかの好きな曲を楽譜通り弾いていた。
それでも与えられた曲でない、自分が弾きたい曲を弾くのは楽しかった。
そのあとドビュッシーに出会った。
ドビュッシーは僕のクラシックに対する先入観を変えてくれた。
ドビュッシーの楽譜にも一応指使いが書いてあるのだが、はしがきに「指使いは記載しているが特段従う必要はない」というようなことが書いてあるのだ!
また、ドビュッシーの練習曲は(僕にとっては)超絶難しいのだが、指使いが全く記載されていない。
そして、はしがきには作曲者であるドビュッシーからの「自分で考えるから意味がある」というメッセージが書いてある。
自分で指使いを考えながらやっていると完璧に弾けないことも多いんだけど、それでも楽しさが違う。
楽しいから練習する → 練習するから上手になる という正のスパイラルで、ドビュッシーを弾くようになってから幾分ピアノが上手くなったように思う。
そして最後、社会人になってから出会ったのがブギウギ(こういうの↓)である。



・ブギウギの楽譜は少ない。
ドイツ人が書いた素晴らしいブギウギの楽譜をようやく見つけたけど、ほとんどは酷いアレンジの楽譜ばかりで、買っただけでピアノの上に積んでるだけになっている。
何故ブギウギの楽譜は少ないのか?
まぁまずは弾こうと思う人が少ないんだろう。
でもそれだけじゃないことに僕は気付いた。
そもそも楽譜とは何かと考えると、クラシックの練習曲・たとえばチェルニーとかの場合、楽譜自体が答えである。
しかし、ドビュッシーの場合は譜面通りに弾いても上手く聴こえない。
ドビュッシーの場合、楽譜は空間に流れる音楽をムリヤリ譜面上に落とし込んだものだと理解すると分かりやすく、譜面の音の長さとかは無視して自分の感じたままに弾くと気持ちが良い。
そして、ブギウギの場合は楽譜なんかいらない、ということに最近気づいた。
ブギウギを譜面通りに弾くなんて行為は間違った行為なのだ!
ブギウギやブルースは黒人が作った音楽だ。
ブラック・ミュージックを聴いてて思うのは、彼らはどの人種よりも魂に忠実だということ(ジャンルもソウルと呼ばれている)。
彼らは音楽を通じて自分の魂を表現しているのである。
だからアレサ・フランクリンは同じ調子で同じ歌を歌えないのだ。
ブギウギも同じ。
難しいとか譜面通りに弾けるとかは関係なく、いかに自分の魂を表現できるが重要なのだ。
もちろんいきなりアドリブで弾けるわけはないんだけど、何曲か弾いてるうちにそれらの曲を組み合わせて最近疑似アドリブみたいな感じで弾けるようになってきた。
そうすると、もう断然楽しい。
ヘタクソで全然曲にならなくても魂を発散してる気分になれるだけで、断然楽しい。
クラシックを譜面通り弾くなんてことができなくなってしまったのである。



・さて、あまりにも長い前置きはこのぐらいにするが、ここから感じたのは人間は自分の魂を表現することが一番楽しいんじゃないか、ということだ。
表現する方法は何だって良い。
仕事だって音楽だって文章だって図画工作系だってスポーツだって料理だって何だっていい。
魂をこめて魂を表現しないとつまらない。
表現する方法を習得するのは非常に難しいことなので、表現できるようになるには時間も労力もかかる。
でも自分の魂を表現する何らかの方法を見つけて、それに魂をこめ続ければ絶対に楽しい。
それで成功して人に認められればなお最高だ。
問題は魂がこもっているか、その方法で自分の魂を表現できるのかだ。
特に仕事だと重要だよね。
今の仕事は自分の魂を表現できるのか?
魂を表現できるようになるために努力しているのか?
そもそも自分の魂とはなんなのか?
こういうことを意識して仕事には取り組みたいものである。
仕事はどうせやらなきゃいけないのだから、何とかして自分の魂を表現する手段にしたいよね。




・が、結局俺がピアノがヘタクソなのは、手が小さいとかのハンデキャップもあるけど、恐らく子どものころにチェルニーとかをちゃんとやらなかったからだと思う。
楽譜通り弾くことも後々の飛躍のためには必要なことなのだ。
それは分かっているけど、俺はどうもヘタクソなのに譜面通り弾くことを嫌がってしまうところがあるので、そこは何とか直したいところ。
まさに空手の「守・破・離」だ。
いきなり破ろうとしても何もできない。
社会人3年目になったが、もう少し「守」で頑張って、早く「破」の段階に行きたいな。
まぁ全然守ってない気もするが。。



・今日は餃子を包みながらずっとこんなことを考えていた。
今日の餃子にはソウルがこもっていた。
美味かった。