八百七十七回目

・2月のおじいちゃんに続き、金曜日におばあちゃんが死んでしまった。
知っている人も居るかもしれないが、うちのおばあちゃんはもう15年前ぐらいからアルツハイマー症を発症、もう5年前ぐらいから俺のことが誰だかも分からなかったし、ここ3年は特養に入っていて、最後に会ったのは去年の新年だった。
結局1年半ぐらい会わずに死んでしまった。
でも、お婆ちゃんが死んだと母親から連絡を受けたとき、正直全然悲しくなかった。
おじいちゃんの時は悲しかった。
いろいろ思い出して一人布団を涙で濡らした。
でも、おばあちゃんの死は悲しくなかった。
子どもの頃おばあちゃんっ子だったにも関わらずだ。




・何でなのか考えた。
おばあちゃんはボケちゃって意思疎通もできなかったし、社会人になって住むところが変わってからは全然会わなかったからだろう。
敢えて会わなかったわけじゃないが、会ってもどうせ俺のこと分からないからしょうがない感があり、どんどんアルツハイマーが悪化していくおばあちゃんに会って気分が良くなるわけでもないので積極的には会いに行かなかった。
たぶん俺はそうやって少しずつおばあちゃんを心の中から捨てていったのだろう。
母親から連絡があったのは金曜日の夜だった。
俺が考えたことは「山笠どうしよう」と「忌引きになんねーのかな」と「金かかるなぁ」だった。



・実家に帰って棺桶に入ったおばあちゃんを見た。
げっそり痩せて別人だった。
俺の記憶の中にあるおばあちゃんはガッシリして体格の良いおばあちゃん。
そして、ちょっと痩せちゃったけどまだ多少は太ってる、ボケちゃって車いすに乗ってるおばあちゃん。
どっちにしてもおばあちゃんは太っていた。
こんなにガリガリではなかった。
遺影は昔のガッシリしたおばあちゃんだった。



・お葬式は家で行った。
おばあちゃんは顔が広い人で、子どもの頃一緒に歩くとよく声をかけられたものだが、享年94歳でさすがに知り合いも元気な人はそんなにいない。
親戚と昔なじみのご近所さんだけが参列するささやかな葬式だった。
足首の悪い俺は正座が辛く、痛みを堪えるのにまともにお経も聞けないありさまだった。
お通夜が終わって食事をすると、山笠の疲れがどっと出てすぐに眠ってしまった。
起きるとすぐ告別式、ここも足の痛みに耐えるのに精一杯で感動する間もなかった。
告別式が終わり、出棺前に棺桶に花を入れる。
それまで無感動に淡々と儀式が過ぎるのを待っていた俺だが、ここでは一気に涙が出てしまった。
何の涙なのかは分からないが、たぶん色々と渦巻いていた感情が出所を探して噴出したのだろう。
でも、どうとも思わなかったんだ。
どうとも思わないというと語弊があるけど、もっと会っとけば良かったとか、孝行すればよかったとかそういう感情はなかったんだ。
思い出だってほとんどはボケちゃってからの、夜に部屋に入ってきたりとか、デイサービスに迎えに行ったりとかそういうのしか残ってないんだ。
でも、恥ずかしいぐらい涙が出てしまった。
何でか分からないが、書いていて今も涙が出まくっている。
やはり血は水よりも濃いのだろう。




・おばあちゃんを最後に、僕の祖父母は全員亡くなってしまった。
おばあちゃんのお姉さん(96歳)はいまだにピンピンしていて、大阪から駆けつけてくれたが、全体的に親の世代も老いたものだ。
いつ親父や母親がボケだしてしまうかなんて誰にも分からない。
ボケたら思い出が作れない訳じゃないけど、どうしても徐々に別人になっていっちゃうから、少しずつ心の中で捨てて行ってしまうことになりかねない。
親孝行は早いうちにしないとな。
と思ったお葬式でした。
その他ご近所さんの素晴らしさを知ったり、お坊さんと会話したのも面白かったけど、一番の感想はそれかなぁ。
とにかく、人の生命なんて儚いものなのだ。
俺も頭がしっかりしているうちにやることやって、太い人生を送らなければ!
頑張ろう!